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首が回らなくて困る意外な事

「ああ、寝違えですね。仕事、大変なんですか?」
ええ? どうして分かるの?
「肩がパンパンですよ」




先日。
朝、起きようとしたら、肩から首にかけて激痛が走り、起き上がれなかった。
寝返りもうてない。
大声で妻を呼び、起床の介助をしてもらった。

上も向けない。下も向けない。
もちろん、右にも左にも回らない。
仕事を早めに切り上げ、整骨院に行った。
1年半ぶりの整骨院。
そこで、ドクター殿に肩を触られながら言われたのが、冒頭の言葉である。

ああ、そうなのね。ストレスね。
僕もそうじゃないかと思ってましたよ。

ちなみに、1年半前も、寝違えである。
書いておくべきは記録である。過去記事参照:『寝違え、首が回らない』(2009-06-11)
進歩がないな。


首が回らないと、困ること山盛りである。
動きがロボットのようになるのは、想定内。
本当に困るのは、意外なことでなのだ。

実際に困った意外なことTOP3を、発表しよう。

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インフルエンザ・地域限定パンデミック

今日から、長男の通うクラスが学級閉鎖となった。
近所でも、ここ何日かで、ばたばたとインフルエンザに倒れている。
あるご一家は、全員ぶっ倒れている。
別のご一家は、順番に罹患。

我が家の周辺地域だけに限ってみれば、完全に大流行状態である。
地域限定パンデミック。
小規模世界流行。
小じんまりと大流行。

新型用ワクチン接種を徐々に拡大? いや、もう遅いと思いますよ。
うちの地域に限ってみれば。
インフルエンザ罹患者のいない家のほうが少ない感じだもん。

ちなみに、我が家は未だに、だれも罹患せず。

健康であることは良いことなのだけれど、これだけ周囲がインフルエンザで倒れていると、いつ我が家の番かと不安になる。
4件隣のご一家は、先週までに全員罹患し、完治。
大変でしたね、とは言ってみるものの、治ってしまえば、羨ましい限り。

うちの子は罹らないで欲しい、というも、親心。
さっさと軽いうちに罹ってしまえ、というも、親心。

さっさと小康状態になってくれないかねえ。

脳みそ血流測定器で「擬態鬱」は見抜けるか?

前々回の記事『昨日のNスペ「うつ病治療 常識が変わる」』で、脳みそ血流測定器というものが出てきた。
これについて、「擬態鬱もなくなる」といったご意見を頂いた。
ぼくも、あの番組を見ながら、同じことを思った。うそ発見器みたいだな、と。
「あの機械で高橋アナウンサーが鬱だと判明したら・・・」ということを書いているのだから、間違いない。

また、コメント中の「擬態鬱」という言葉に、びびびっと反応したのも間違いない。
そのあたりの理由は、過去記事参照のこと→『「擬態うつ病」

で、実際のところ、脳みそ血流測定器で「擬態鬱」は見抜けるのだろうか?
今回、その件を考えてみたい。



まず、そもそも「鬱」とは何か、から話を始める必要がある。
鬱が分からないのに、擬態鬱が分かるわけがないのだ。

鬱病とは、「気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などを特徴とする精神疾患である」(Wikipedia「うつ病」より引用)

これにより、鬱病は精神疾患であり、身体疾患ではない、ということが分かる。
では、この鬱病の原因は何か。

一般的には、鬱の原因には内因性と外因性の2種類がある、と考えられている。

内因性の鬱:
  身体疾患によって生じる鬱状態。
  単極性鬱病、反復性鬱病、双極性障害(躁鬱病)などがある。
  但し、その疾患が明確になっている場合は、鬱病とは言わない
   (脳腫瘍、脳血管障害、アルツハイマーによる鬱状態などは、鬱病とは言わない)。
心因性の鬱:
  心理的要因、ストレスによる鬱状態。
  厳密に言うと、これは重度の適応障害であり、鬱病ではない。

両方とも、鬱状態としての症状は同一である。
適応障害から心因性の鬱、そして内因性の鬱へと進行することもある。
ちなみに、適応障害から、身体的異常が生じることがある。これを、自律神経失調症、心身症などという。

これ、ぜ~んぶ、違う病気である。
治療方法も違う。個人差もあるので、同じ病気でも人によって薬が違う。
まったく薬の効かない場合もある。

では、内因性の鬱のメカニズムは、どうなっているのか。
これが、いまだ仮説の域を脱していないのだ。
頭の中のどこがどうなると、単極性鬱病になり、どうなると双極性躁鬱病になるのか、まだ分かっていないのだ。
内因性の鬱で書いたように、メカニズムがはっきりしている鬱は、鬱病とは言わない。
理由よく分からないが、セロトニンの再吸収を阻害する薬を投与すると鬱状態が改善することから、セロトニン仮説というものがあるが、証明されたわけではない。
また、海馬神経損傷仮説というものもあるらしい。
これが明確になると、鬱病という呼ばれ方ではなく、「セロトニン欠乏症」とか、「海馬神経欠損症」などというネーミングになるのだろう。

では、心因性の鬱に対し、これらの薬が効かないか、といえば、そういうことでもないらしい。
脳に作用する薬なのだから、どんな人にでも何らかの神経作用が出て当然である。つまり、「薬が効かないから心因性だ」とは言えないのだ。
また、バファリンを飲んでも治らない頭痛のように、内因性の鬱なのだけれど、たまたまその人に合わない薬なのかもしれない。
ノーシンなら効くかもしれない。
そんなことは鬱にはよくあることだ。

ということは、内因性の鬱か心因性の鬱かを臨床的に明確に判断することは、いまのところ不可能だ、ということになる。
とりあえず、鬱な気分が継続して現れる状態を、十把一絡げに「鬱病」と言っているに過ぎないのだ。
時々躁状態が出るのであれば躁鬱病だし、何らかのストレスが要因であることが明確になったのであれば、心因性鬱となる。
これら「鬱病」状態の症状だけを見たときに、重症軽症以外の区別は不可能である、というのが現状だ。
だから、先日のNスペのように、医者によって診断結果が違ったりするのだ。

もっと面倒なことに、心因性の鬱から、内因性の鬱に変化することもある。
例えば、ストレスで眠れない状態が何日も続き、ホルモンバランスだの脳内物質だの、わけのわからないものに変調をきたし、ある日突然脳みその一部が爆発する。ぼん。
(多分、ぼく自身はこれだったのではないかと考える)



鬱の定義、概念、実例については、これでお分かりだろうか。
では続いて、「擬態鬱」について考えてみよう(なんだか大学の講義みたい。調子に乗ってきた)。
「擬態鬱」については、明確な定義がないが、ここでは「仮病」、つまり、自分は鬱であると意図的に嘘をくこと、というふうに仮定する。

以下は、ぼくの考えである。

この「擬態鬱」と、心因性の鬱病の間には、生理的に大きな差は無いのではないかと考える。
「鬱病だ、と嘘をつく」ことと「鬱病だ、と思う」ことに、客観的にはほとんど差はないだろう。
鬱の診断には、ひとつひとつの質問に対し点数を付けていき、何点以上だったら鬱病、っていう例の表があるのみだ。それ以外の診断方法はない。つまり、現段階では、問診に嘘を書けば、鬱病になれる。
もし、他の診断方法があれば、それは鬱病ではなくなる。脳血管疾患とか、セロトニン欠乏症、などという病名が付けられ、鬱病とは切り離されることになるだろう。



だから、現段階で、脳みそ血流測定器でもって、その人が何病か、あるいは仮病かどうかを明確に当てられるようになったとしたら、それは既に鬱病ではなく、別の疾患名が与えられるはずだ。
現段階で、脳みそ血流測定器で分かるのは、診断に対する客観的な裏づけ、のみである。
鬱状態で病院に来た人がいたとしよう。問診の結果、その人が躁鬱病である確率が50%のような場合に、この機械を使うことで、躁鬱病であるかそうでないかが、もっとはっきりする、というものだ。
躁鬱病でなかったときに、では何病なのか、ということは、相変わらず分からない。
頭痛を訴える人がいて、MRIで検査すれば、脳血管疾患かどうかは明らかになるだろう。しかし、脳血管疾患でない場合、本当に頭痛で苦しんでいるのかどうかは、分からない。それと一緒だ。

ここを間違えてると、えらいことになる。
脳みそ血流測定器でもって、心因性の鬱を患う人に、「おまえの血流は問題ない。だから、おまえは擬態鬱だ」なんて言ったら、「そうなのか、やっぱりぼくは駄目人間なんだ」となっちゃう。

この機械は、治療方針を決めるために使用されるべきで、病気か否かを判断するために使用すべきではないと考える。
ちょうど、頭痛を訴える人を検査して、どうしても頭痛の原因が分からないから、「あなたは頭痛ではありません」と言うのと一緒だ。
「擬態鬱」を論じるのであれば、他の仮病と同じく「仮病は悪いことだ」という道徳的観点で論じるべきである。

もし、仮病かどうか調べたいのであれば、うそ発見器のほうが、実績があり、信用できそうだ。「擬態鬱」に対して、どのくらいの効果があるのかは、疑問ではあるが。



ここまで、ぼくは敢えて「現段階で」という言葉を入れた。
将来、そうでなくなる可能性は大いにあると考える。また、そうであってほしいと考える。
鬱病の科学的解明が行われ、原因がはっきりし、いわゆる鬱な気分とは明確に切り離され、治療方針が立てられれば、それはとても素晴らしいことだ。
また、心因的鬱である、ということがはっきりすれば、明確にそこにポイントを絞ったカウンセリングや、ストレッサーの除去で治癒する、ということになるし、症例を重ねることで、その技法も磨かれるだろう。
前々回の記事で、「鬱病が、本当に「心の風邪」となることを、強く望む」というようなことを書いたが、その意図はこういうことである。



ただ、やっぱり仮病する人は仮病する。
ぼく自身「頭が痛い」と言って会社を休むこと、よくあるもん。
だったら、各種ずる休みは、「擬態風邪」「擬態頭痛」「擬態発熱」「擬態親戚不幸」というべきだ。「擬態鬱」だけをことさら強調する必要はない。
特別視するのは、それは未だに鬱病が被差別的な病気であり、未知の要素がまだまだ多い病気であるという証拠である。
「心因性鬱」を「擬態鬱」と見なすことで、「怠け者」のレッテルを貼り、村八分にするための、「正常な」神経を持った人間の理屈である。
もしかしたら、医療費抑制を目論む国家の陰謀かもしれない。
(うわ、すごい卑屈な考え)

以上、ちょっと熱め。
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プロフィール

ストラグラー

Author:ストラグラー
システムエンジニア11年戦士。
世の中の出来事や身のまわりのいろいろなことに、興味の向くままに、てれてれと書き綴ります。
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