スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ぜんぜん弾けなくなっちゃってるよ

なんとなく、ふと、ピアノが弾きたくなった。
我が家のピアノは、夜でも弾ける、電子ピアノ。
なので、たった今、ちょっと弾いてみた。
バッハのパルティータ1番。

ぜ~んぜん指が動きません。
トリルがころころと転がってくれません。
1曲目のプレリュードをなんとか弾き終わったところで、もう、やめた。

まずい。
やばい。
ピアノが、ストレス解消の手段でなくなっている。
慌てて、ハノンの練習曲の1~6を連続で弾いた。
大丈夫。指は何とか動く。
でも、あっという間に腕が筋肉痛。

かなり、ショック。
昔は苦もなくできていたことが、出来なくなっていたことのショック。
幼少期から青春時代にかけて積み上げてきたものの、喪失の危機。


やばい。
決めた。
これから、1日1回、ハノンとツェルニーの練習曲を必ず弾こう。
デスマーチよりも、大事な問題だ。




脳みその中には、「一次運動野」という領域がある。
頭のてっぺんから、耳の上にかけての、細長い領域である。
この領域は、脳機能のなかで、運動を司る役割を持つ。

この一次運動野は、脳みそ上における位置と実際の運動箇所とが、1対1で対応している。
頭頂部は、足。
少し下に行くと、手。
詳しく見ると、小指~親指の順に並んでいる。
その下は、顔。
額、眼球、口と続いている。
その下に、舌があって、運動野は終わる。
これをわかりやすくした図が、「ホムンクルス」と呼ばれる、有名な人には有名な図である。

詳細は、Wikipediaできちんと説明されているので、そっちを読んでね。
一次運動野 - Wikipedia

このホムンクルス、他に比べて、手の領域が広い。
また、人によっても、領域の広さに違いがある。
手の器用な人は、手の不器用な人に比べて、この部分の領域が広い。
しかも、これは、訓練によって広げることが出来る。

ピアノを弾くときに問題になるのは、3~5指(中指、薬指、小指)がきちんと分離されて動くかどうか、である。
脳みそのなかで、きちっと3~5指の領域が分割されれば、指もきちんと動く。ハズだ。
脳みその神経細胞を、きちんと整理整頓するのだ。
「おまえはいままで中指だったり小指だったりしたかもしれないけど、これからは、薬指の第三関節だ」
というふうに。




仕分けてやる。
中指と薬指と小指を、ざっくり別々にしてやる。
ハノンとツェルニーを弾くときに、「割れろ、割れろ」と念じながら、弾いてやる。
訓練だ!
ホムンクルス改造計画だ!



いつか、もう一度、人前で弾けるように。
スポンサーサイト


テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

ポリーニのバラードを聴いてみた

たまには、こんなのも聴いてみようかな、と思って手に入れた、ポリーニのバラード。

ショパン:バラード第1番&第2番&第3番&第4番ショパン:バラード第1番&第2番&第3番&第4番
マウリツィオ・ポリーニ


このポリーニという人、オリンピックにピアノ部門があれば、金メダル候補筆頭だ。
一度でもピアノを習ったことのある人であれば、この人のピアノには間違いなく驚愕するだろう。
「こいつの指はどうなっとるんじゃああああぁぁぁ」と叫びたくなる。

音の粒は、完全に均一。
ミスタッチは皆無。
スピードは他のどのピアニストよりも速い。
明快。明晰。
音楽的な陰影の隅々にスポットライトが当たる。

バラード4番のコーダ(終結部分)。
全部の音が聞こえる。
3度進行音階の美しさ。
オクターブ音階の滑らかさ。

ピアノを弾き終わった後、「すごい」以外の感想が出て来ない。

ちなみに、上記以外の感銘は、一切ない。
ピアニストを目指す人にとっては、ピアノ道を極めるとここまでになれるんだ、という、憧れ的存在。
そんなことどうでもいい人にとっては、はっきり言って耳障り。

僕?
僕は、すごおく複雑な感情を抱いている。
「こんなふうにピアノを弾いてみたい」と思う反面、「こんなドライに弾いたって面白くないだろうに」とも思ってしまう。

どちらにせよ、一聴の価値はあるかな、と思う。
なんたって、ピアノオリンピック金メダリスト候補(そんなものないから、永遠に候補だけれど)なのだから。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

『ゲルギエフの悲愴』を聴いてみた

チャイコフスキー:交響曲第6番<悲愴>チャイコフスキー:交響曲第6番<悲愴>
ワレリー・ゲルギエフ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


僕にとって、チャイコフスキーの「悲愴」は、どのように演奏されるべき曲か。

つかの間の喜びは、打ち消されることを予感させられるべきであり、悲しみは、虚無に帰すことが前提となる。
焦りは、早く終結してしまいたいことの現れであり、慟哭は、決してそこから逃れられることの出来ない諦めでなければならない。

すべての表現が、4楽章終結部の死んだようなピッチカートを指向していなければならない。
これが、僕の好きな悲愴。



さて、髭もじゃゲルギエフ、顔が猥褻な、いまや泣く子も黙る、ロシアクラシック界の平井堅が奏でる悲愴は、どうだったのか。

続きを読む



テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

ランキング参加中
また、ランキングサイトに参戦することとなりました。
グリグリグリっとクリックお願いします。
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
プロフィール

ストラグラー

Author:ストラグラー
システムエンジニア11年戦士。
世の中の出来事や身のまわりのいろいろなことに、興味の向くままに、てれてれと書き綴ります。
闘って撃沈したり、折り合いをつけたり、妥協したり、たまにはガッツポーズしたり。
お気軽にお楽しみくださいませ。

リンクフリー。お気に召しましたら、ご自由にどうぞ。

カウンター
目次

全ての記事を表示する

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
躁 (8)
本 (6)
月別アーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
フリーエリア
edita.jp【エディタ】
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。