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子は親に似る

長男が、居間で寝そべってテレビを見ていた。
妻が、「はやく歯磨きしてしまいなさい」と言った。
長男は、「は~い」と返事をした。

でも、長男は、いつまでたっても動こうとしない。
妻が、「早くしなさい」と少し語気を強めた。
長男は、「はい」と返事をしたが、やっぱり動こうとしない。

ぼくが、「さっさと動け!」と怒鳴る。
ようやく、長男が立ち上がり、だらだらと洗面所へ向かう。


我が家では、よくある光景である。
次男にも、同じような性癖がある。
三男も、そうなるのだろうか。
だらだら、ぐずぐずしている状態を見るのは、決して気持ちの良いものではない。
だから、つい怒鳴る。


母が言う。
「あんたにそっくりだね」
妻も同意する。

ああ、そうかも。

小さいころから、だらだら、ぐずぐずが、大好きだったなあ。
朝ぎりぎりまで寝ていて、たたき起こされ、慌てて学校に行ったものだ。
忘れ物はしょっちゅう。

あ、今も変わっていないなあ。
朝ぎりぎりになって、妻に起こされ、大急ぎで準備し、家を出る。
駅に着いてから、財布を忘れたことに気が付く。
こんなことが、何度あっただろう。


誰が言っていたのかすっかり忘れてしまったが、子育てについて、次のような言葉を聞いたことがある。
子どもは、親の思うようには育たない。
親のように育つものだ。

納得。
そう思えば、多少の欠点は許せてしまう。


母に対しては、「親父に似たんだよ」と悪態をつくことにしている。
母は、「そうねえ、どうしてこんなに似ているんだろうねえ」と、いやな顔をする。

今日も平和だなあ。
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テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

優しさとコメントのバランス

人に対しては、優しくありたいと思う。
慰めるときも、叱るときも、共感するときも、その裏打ちとして、その人に対する優しさを持っていたいと思う。
そして、そのことを感じてほしいと思う。

「優しさ」というより、「その人を尊重する姿勢」と言ったほうが分かりやすいか。
その気持ちは、相手に伝わるものだ。いや、伝わらなければいけないものだ。
伝わって、はじめて、人と人とのコミュニケーションになる。
ぼくは、そう思っている。

そのためには、その人を目の前にして、優しさを持ってぶつかっていけばいい。
言葉を交わし、目を合わせ、表情を伺い、相手の優しさを感じる。
自分の気持ちが相手に伝わっていることを感じる。
コミュニケーション。



問題は、ブログのコメント。
きちんと、相手の優しさが伝わってくるだろうか。
ぼくの気持ちは、伝わっているのだろうか。

しばらくコメントをお留守にしていることや、返事をしないことが、妙な誤解を生んだりしていないだろうか。
ただ単に、忙しいだけなのだ、ということが、伝わるだろうか。
「あ、嫌われているかも」と思われていないだろうか。

そんなことを考えていると、ついコメント欄で、自分の考えを語り過ぎてしまう。
あとで読み返してみると、親切の押し売りになってしまっていることが、よくある。
親身になっていることを示したいがために、「親身になっていますよ」と書いてしまう。
そんなことはやりたくないと思っているが、でも、いつの間にか、無意識にやってしまっていたりする。



ブログの場合は、相手の本当の姿、気持ちが見えない。
本当の姿を見たければ、その人のブログの文章から想像するしかない。
その場合、その人は、文章に自分の姿、気持ちを乗せるのが上手なのか、下手なのか、判断しなければならない。
下手な場合、結果的に本人の言いたいこととは違うことを書いてしまっているかも知れない。
その場合、わざと嘘をついている場合との判別が、原理的にできない。
だから、ブログという枠の中では、人と人のコミュニケーションは出来ない。

こんなブログを書いているぼくが、実はSEではないかもしれないのだ。
実は、ぼくには家族もなく、ネットカフェを転々としている人間なのかもしれない。
誰もそれを証明することはできない。
できないのであれば、証明する必要もない。
ぼくが嘘つきであろうとなかろうと、読む人にとっては、ここに書いてある文章が、ぼくのすべてなのだから、

逆に言えば、ブログに本当のことを書いたって、嘘のことを書いたって、構わない。
当然、脚色は有り得るし、ありもしないことを書いたって構わない。
私小説だって、そんな感じでしょ。
「だいたい本当なんだろうな」という思い込みがあれば、成立する。
万が一、それが完全にフィクションだったとしても、そこに気付きさえしなければ、そのブログ自体の価値が落ちるわけではない。
信じる/信じないは、ぼく自身の問題ではない。読者の問題だ。
もし信じていただけたのだとしたら、それはぼくが本当のことを書いているからではなく、ぼくが信用されそうな文章を書いているからだ。



何だか、身も蓋もないなあ。
いったい、ぼくは何を書こうとしているのだろう?
このまま書き続けてみよう。何が出てくるだろう?



コメントも然りである。
多種多様な人間がいて、コメントがある。そこに、コメントを書いた人の本当の気持ちがすべて書いてあるわけがない。
それに対する返信コメントも、本当は必要ないのだろう。
と言いつつ、ぼくは返信コメントしている。それは、コメントの数が少ないから、出来ているだけのことである。
200も300もコメントが来たら、いちいち返信コメントつけませんよ。
そんなアルファブロガーに、万が一なれたら、の話ですが。

最近、あし@や、エディタから足が遠のいている理由も、そこにある。
記事に関係ないコメントに意味は無いと思うし、それに対する返信なんて、どうすればいいのか分からない。
エディタで読者登録しなくてもブログは読めるし、あし@ともは友達ではない。あくまでも書く人と読む人である。
黙って読んでいただければいいし、何か言いたくなったら、ブログに、記事に対するコメントを寄せていただければいい。
読者登録や、あし@とも仲間って、いくつかやってはみたものの、ぼくには合わないな、と思った。
よって、最近はほとんど無視してしまっている。
「じゃあ、退会しろよ」という意見があるだろう。これについては、「ぼくはSEO対策であし@やエディタをやっています」という回答を行うことになる。
だって、あし@やエディタって、SEOを謳っているもんね。現に効果あるし。

好きなブログを勝手に読む。
気になった記事があれば、その記事に対するコメントを寄せる。それだけでいい。
記事にまったく関係ない、仲良くしましょう系とか、喧嘩の売買とか、双方向通信の無限ループは、よそで(メール等で)やればよい。ブログでやられると、他の読者に迷惑である。



これはぼく自身の反省でもある。
「こういうコメントが欲しいな」という期待を持って記事を書くことがあるからだ。
「慰めてほしい」「勇気付けてほしい」「叱ってほしい」「褒めてほしい」
記事を書きながら、そんなコメントを期待することがたまにある。
それは、自分が人には出来ないことを、人に求めることであり、ぼくの考える「優しさ」とは違う。
「その人の本当の気持ちは、記事からは分からない」のであるならば、「ぼくの気持ちに沿ったコメントを期待する」ことは間違っている。
どうしてもそういうコメントだけが欲しい場合は、そう書くしかない。
「慰めてください」とか、「エロエロコメントのみでお願いします」みたいに。



今までコメントをいただいた諸兄諸姉のコメントが不服なのではありません。
ぼくが何を書こうとしているのか、ようやく分かりました。

最近ぼくが、いろいろコメントをいただいているのにも関わらず、諸兄諸姉のブログにコメントを寄せていないことの言い訳がしたかったのです。
エディタやあし@で、皆様のコメントやあしとも申請を無視し続けている言い訳がしたかったのです。
だって、変に無理して書こうとすると、心にもないことを書くことになり、結果的に嘘をついてしまうことになるんだもん。
だから、記事もコメントも、書きたいときに書きたいことを書く。そういうことにします。

だから、「あ、嫌われているかも」と思わないでください。
そう思われていると思うだけで辛いので。・・・・・・ひさしぶりに鬱っぽい文章だな。


テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

インフルエンザと鬱と屁

インフルエンザが、猛威をふるっているようだ。
長男の通う幼稚園が閉鎖になった。

昨日まで同室で仕事をしていた人が、倒れた。
インフルエンザとの診断がおりたとの連絡が入った。
ぼくは、保菌者としばらく一緒に仕事をしていたのだ。
家に帰ると、すぐに手洗いうがいをした。


我が家は、産まれたばかりの三男を除き、全員、予防接種済みである。
でも、安心はしていられない。
予防接種したワクチンとタイプの違うウィルスは、感染する可能性があるそうだ。

もし、ぼくが罹ったら、どうしよう。
もちろん、出勤停止になるので会社にはいけない。
家にいて、他の誰かにうつすのも嫌だ。
妻は三男坊を決してぼくに近づけたりしないだろう。
それは辛い。
だっこも出来ず、見てるだけ。
蛇の生殺しである。

漫画喫茶にでも篭るとするか。


まわりや自分の状態から判断すると、鬱病持ちは、免疫力が低いようだ。
原因と結果が逆な気もするが、でも、「鬱になって風邪をひかなくなった」という事例にはお目にかかったことがない。
気をつけよう。

少し前から、屁がよく出るのだが、インフルエンザと屁に相関関係がある、という話は聞いたことがないし、大丈夫だろう。
というか、ぼくは鬱なのか?
鬱が治ると屁が出る、というのも聞いたことがないなあ。
屁=健康 というイメージは、正しいのか?
さっさと薬飲んで、寝よう。

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 心と身体

おひざでだっこ

いま、三男坊をひざの上に置いて、この記事を書いている。
なんか、幸せ。
さっさと仕事を終わらせ、とっとと家に帰る。
今日、妻と三男が退院だった。

ブログタイトル、変えようかなあ。
今は、とくに闘ってはいないし。
躁っぽくも鬱っぽくもないし。減量もここのところ全然意識してないし。
「のほほんSE~でっぷりおなかと三男坊」

バカ親。デレデレである。
今日はさっさと寝ることにしよう。
ちびと一緒に。


テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 心と身体

鬱病プロジェクト

何というべきか。

仕事に戻ってみると、休み前から全然状況が変わっていなかった。
はははは。


そういえば、先週まで、「頭が痛い」だの、「ふらふらする」だの、「パキシルが」だの、いろいろわめいておったが、ここ1週間ほど、すっかり忘れていた。
今日、ひさびさに思い出した。
そういえば、そんなこと言っていたなあ。

症状は、といえば、はっきり言って、何ともない。
ぱりぱりも、ふらふらも、ずきずきも、何もない。
どんより鬱にもならないし、べろべろ躁にもならない。

若干、症状は改善しているのかも知れないな。
ただ、性急な判断は禁物だろう。
「治った治った」と思って、無茶すると、また元に戻る。
「同じ失敗は二度するな」と、小さい頃に教わったからな。
子分にも「また失敗しやがって」と散々言っているし。

小康状態、だと思っておいたほうがいいだろう。
まだ、うまく言葉にできない何かが、心の中に溜まっている。
うまく吐き出せると、いいなあ。


で、今日の仕事の話。
どうやら、プロジェクトの状況は悪化しているようだ。
うまく前に進んでいない。
資料は作るのだけれど、作れば作っただけ、新たな問題が発生するような状況になっている。
墓穴を一生懸命掘っている、そんな感じだ。
SEがばりばり仕事をすれば前に進んでいくところまで、あと一歩なのに、なかなかそこまで辿り着かない。
むしろ遠のいている。
仕事をしても仕事をしても、出口が見えない状況が、ここ暫く続いている。

プロジェクト自体が鬱病にかかった感じ。
何とかしないとな。


テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 心と身体

明日から俗世間へ復帰

三男が産まれて、事前の打ち合わせどおり、母が我が家にやってきた。
長男次男の幼稚園、日々のことは、母がやってくれることになった。

というわけで、今日で、ぼくの非日常生活はおしまいである。
明日から、俗世間へ復帰だ。

正直、めんどくさい。

会社は、仕事はどうなっているだろうか?
先週の火曜日、『正常な脳みそで考える時間が欲しい』の出来事があって以来、ひさしぶりの会社だ。
親分は、子分は、相変わらずなのか。
不思議な仕事をさせられるのか。

はたまた、大どんでん返しが待っているのか。
楽しみなような、怖いような。

さて。
欲しいと訴えていた「正常な脳みそ」と「考える時間」。
正常な脳みそは、あったような気がするが、考える時間がなかった。
いや、時間はあったな。
時間があるときは、そんなに時間が貴重なものであるとは思わないものなのだ。
またでいいや、と、思ってしまう。
何だってそうである。
金があるときは金のありがたみが分からない。
仕事をしているうちは、給料を貰えるありがたみが分からない。

妻が近くにいるときは妻のありがたみが分からない。
母が来てくれたときは、有難い!、と思ったが、今はすでに、鬱陶しい。


これって、やっぱり駄目人間の考え方なのだろうか?
「足ることを知る」と、このへんの気持ちは、片付くのだろうか?
それとも、みんなそうなのだろうか?
ご存知の方、教えてください。

明日の通勤時にでも、考えてみるか。


あ、本日、アクセスカウンターが2000を超えました。
これも、三男誕生のご祝儀と考え、精進致します。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

「今日は死ぬのにもってこいの日」

別に、ぼくが死ぬわけじゃありません。
今、死ねるような状況じゃないじゃん。
念のため。

かんがえるのっておもしろい (絵本 かがやけ・詩―ひろがることば)かんがえるのっておもしろい (絵本 かがやけ・詩―ひろがることば)


1週間前、子どもが図書館で借りてきた絵本だ。
この中の、いちばん最後に、「今日は死ぬのにもってこいの日」という詩が載っていた。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。

生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。

すべての声が、わたしの中で合唱している。

すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。

あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。


今日は死ぬのにもってこいの日だ。

わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。

わたしの畑は、もう耕されることはない。

わたしの家は、笑い声に満ちている。

子どもたちは、うちに帰ってきた。

そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。



3人目の息子がこの世に生を受けた、その日の夜。
子どもに読み聞かせたその絵本の中に、こんな詩があったのだ。

死と生が渾然一体とし、終わりが始まりであり、滅亡が創生であるような、不思議な詩。
確かに、死ぬのにもってこいの日だ。
同時に、生きるのにももってこいの日だ。
もちろん、産まれるのにももってこいの日だ。

あまり書くと、自分の気持ちとどんどん違う方向に行ってしまいそうだ。
つまり、ぼくは、この詩から、何かを感じた。
その何かは、ぼくの語彙では語りきれない。
どうして、こんな日に、こんな詩に出会ったのだろう。


原典は、この本のようである。

今日は死ぬのにもってこいの日今日は死ぬのにもってこいの日
ナンシー ウッド


読んでみよう。と思う。


テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 心と身体

総合病院へ再び(祝・出産)

さて。ほぼ3日ぶりのエントリーだ。
1月19日のエントリー『総合病院へ』で書いた総合病院とと我が家の往復で忙しかったのだ。


妻が、3人目の息子の出産に、成功しました!!


おめでとう。ありがとう。
祝いはポチで結構です。


で、その経過についてだが、
陣痛開始から、出産まで、20時間!!
分娩室に入ってから、出産まで、6時間!!
最初は立ち会うつもりはなかったのだが、分娩室に入ってから、5時間たっても産まれないので、助産師さんに頼んで、分娩室に入らせてもらった。
そしたら、部屋から出るに出られなくなり、そのまま出産まで立ち会うことに。

3人目の出産にして、はじめての立ち会い。

いやあ、大変だった。
旦那は、手に汗握ることぐらいしかできない。
もう、こっちが失神しそうだった。
偉いよ。妻は。

産まれたばかりの赤ちゃんはグロい、とはよく聞いていたが、そんなことはなかった。
出てきた瞬間、「あ、ぼくに似ている」と思った。
立派なちんちん。男である。
産声があがった瞬間、泣きそうになった。
あんなに苦しそうだった妻の顔が、微塵の疲れも感じさせないほどの笑顔になっていた。
助産師さんにも、「旦那さんにそっくりだあ」と大笑いされた。
なんだか失礼だなあ。

名前はすぐに決まった。
いつも、あらかじめ3つか4つくらいの候補を決めておいて、産まれた子どもの顔を見て決めることにしているのだが、今回も、一発で妻と意見が合った。
前の2人の子も、この手法で一発で名前が決まっている。
子どもの顔を見ると、「これしかないよ」ということになってしまう。
不思議に聞こえるが、当人としては、あまり不思議ではない。
だって、その名前しかない、っていう顔をしているんだから。


ひととおり後始末を終えて、病室の整理もして、医師や助産師、看護師さんたちに挨拶をして、家に帰った。
その日の晩御飯は、のどを通らなかった。
それはフラッシュバックのようにぼくの頭を駆け巡った。
感動と感激で、現場では見てみぬふりをしていただけだったのだ。

へその緒と、それに続く胎盤。
それに続く、・・・・・・。


今日は、2人の息子と、母ををつれて、病院に行った。
妻に、「お兄ちゃんになったね」と言われた下の息子(いや、真ん中の息子)は、照れくさそうに妻にしがみついた。
上の息子は、母さんの身体を気遣っている。
はあ、ほんとうは寂しかったくせに、大したもんだねえ。
頑張れ、兄ちゃんたち。



さあ、お父さんの出番である。
会社が何だ! 上司が何だ! 親分が何だ! 鬱が何だ!
そんな小さなことを気にしている場合ではない。
3人の子を育て上げるのが、ぼくの使命だ。
金を稼いで、たらふく飯を食わせ、思う存分遊ばせ、義理人情を叩き込み、びしびし勉強させるのだ。

皆様、たまにはここで愚痴ることもあるかも知れません。
でもそれは、明日また頑張るための愚痴だと思っています。
今までもそうやってブログを書いてきたつもりだし、これからもそのつもりです。
容赦なき叱咤激励、お願いします。


テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 心と身体

正常な脳みそで考える時間が欲しい

今日はひさしぶりの仕事。
午前中はまったく仕事にならなかった。
資料も上っ面しか見えない。

午後、親分より、チームミーティングの開催・取りまとめの仕事を仰せつかる。
ぼくが休んでいる間に溜まっていた資料を渡される。
なんだ、休み前から全然進んでいないじゃないか。
問題山積み。
だめじゃん、親分。やっぱりぼくがいないと。
ささっとミーティングを召集し、問題に対するチームとしての改善案をまとめる。
お、ぼく、意外と働けるじゃないか。

子分に資料をまとめさせ、親分に献上。
親分は、資料を見ながら、首をかしげた。
そして、言い放った。
「言ってたことと違うじゃないか!」
怒り出す親分。
あれ!??? 改善案をまとめるのではないの?
やっぱり理解できていなかったか。


親分の説教が続く。
親分の話は、どんどん飛んでいるような気がする。
あれ!?改善案をまとめる話じゃなかったっけ?
いつの間にか、新たな問題点の話題になっている。
「ええと、結局、改善案の話はどうすれば?」
「だから言ったじゃないか!」
言いましたっけ?


あとでこっそり、子分に確認する。
「親分は、改善案について、何か結論言った?」
「いや、言ってません」
良かった。ぼくは正しかった。
ん~~~、でも、これでは仕事にならない。


親分をひっつかまえ、資料を見せながら、期待する改善案を聞き出す。
なんだ、考えを持ってるんじゃん。
だったら先に言えよ。
自分の思い通りにしたかったら、最初から言え。


で、一生懸命、親分の期待する方向に資料を持っていく。
このプロジェクトのリーダーは親分なのだから、親分の納得のいかない運営はするべきではない。
ぼくは意見もする。遂行もする。でも、プロジェクトの最終決定は親分がするのだし、そこに対する責任も親分が負う。
もちろん、成功したときの名誉も親分が総取りだ。
ぼくがリーダー張っていたときは部下にそう要求したし、そうやって働いてくれる部下を信頼できたからだ。
でも、なんか違う。
親分は、何のために働いているのだ?
ぼくを困らせるため?
不安がよぎる。


資料をまとめ、親分に持っていく。
親分は満足そうな顔をし、それでも10箇所くらいにケチをつける。
平行して資料を修正。
よかった。これで帰れる。



帰り際、子分が言った。
「これ、先週、ぼくたち同じことやりましたよ」
・・・・・・え!?
「じゃ、失礼しま~す」
おいおい、待て、待ってくれ!


んんんんんんんんんんんん。
苦悶が更なる不安を呼ぶ。

誰が間違えているのだ?
おかしいのは、ぼくか、親分か、はたまた子分か。
一気にわけがわからなくなる。
それとともに、ぱっぱらぱーになった感覚。
酔っ払っていないのに、酔っ払った感じ。
同じことって、何だ?
どうして最後になって、それをぼくに言うのだ?
ふらふらと、駅に向かう。



正常な脳みそで、現在起きている事象と、本来あるべき姿と、これから行うべき対応を、論理的にしっかり考える時間が欲しい。
これじゃ分からないな。
欲しいのは、「正常な脳みそ」と、「時間」である。


テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 心と身体

総合病院へ

今日は、妻と一緒に、少し離れたところにある総合病院に初めて行った。
見てもらうのは、ぼくではなく、妻である。


といっても、妻が病んだわけではない。
実は、3人目の子どもがまもなく生まれるのだ。
予定日は今月末。もう、臨月真っ最中。

このブログ内では初告白である。
何となく書くタイミングがなく、書きそびれていた。
だからといって、誰かに謝る必要もないのだが。


なぜ、臨月の妻が急に総合病院に行くことになったのか。

これまで、わりと近所にある、小さな産婦人科に通っていた。
先週末、診察を受けに行ったところ、そこの医者から、
「赤ちゃんが大きくなりすぎているようだ」と言われたのだ。
赤ちゃんが大きすぎ、産道、骨盤をきちんと通過できるか、つまり、自然分娩できるかどうかの、微妙なラインにあるらしい。
その産婦人科は小さいので、万が一、帝王切開が必要になったときに、すぐに対応できないのだ。
というわけで、すこし離れた総合病院への紹介状を書いてもらって、転院することになったのだ。

妊婦の受け入れ拒否が流行っている時期でもある。
あらかじめ診察を受けてもらうことは、非常に大切な措置だ。


総合病院らしく、受付から診断終了まで4時間かかった。ふう。
レントゲンをとって、赤ちゃんの頭と骨盤の関係を見て、自然分娩が可能かどうかチェックしてもらった。
結果は、前の医者の見立てどおり、「ぎりぎりセーフ」。
自然分娩で頑張ってみて、無理なら帝王切開に切り替えましょう、ということになった。

妻がすごく辛いのではないかと、心配になる。
散々頑張った挙句、「切りましょう」ということになったら、大変ではないか。
でも、本人は平然としている。肝が据わっている。
「私の心配より、自分の心配をしなさいよ」と言われる始末。



そう、
先週の木曜日、金曜日は、頭痛で会社を休んだ。
今日は、妻の病院への付き添いで休んだ。

さすがに明日は行かなきゃまずいだろうなあ・・・。

相変わらず、頭はぼおっとしているのだが、個人的裁量の範囲内で朝昼のデパスを減らしてみた結果、ぼけぇっとした感覚は少し減った気がする。
ビンビン動けるところまでは至っていないが、まあこれくらいなら、何とかなるだろう。

それとも、この神経症状、3人目出産間近であることと関係あるのだろうか。
多分、あるのだろうな。
ただ、そんなことでぐちぐち言ってもいられない状況でもある。
このブログで、適当に毒を抜いていこう。


テーマ : ひとりごと
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Author:ストラグラー
システムエンジニア11年戦士。
世の中の出来事や身のまわりのいろいろなことに、興味の向くままに、てれてれと書き綴ります。
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