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東京都江東区殺人事件の報道について

【神隠し公判】立ちつくす被告 遺族は悲しみ癒えず
配信元:産経新聞 2009/02/18 11:50
 「被告人を無期懲役に処する」。自ら死刑を求めた被告に、裁判所が言い渡した結論は「無期」だった。東京都江東区のマンションで会社員の東城瑠理香さん=当時(23)=が殺害され、バラバラにされた事件の東京地裁判決。主文を聞いた星島貴徳被告(34)は目を伏せたまま立ち尽くした。「性奴隷にしたい」という身勝手な願望、残酷な遺体解体の状況-。死刑を求めた遺族の願いはかなえられなかった。

 午前10時、東京地裁104号法廷。黒のトレーナーに黒のズボン姿の星島被告は緊張のためか、やや顔を紅潮させているものの無表情のまま証言席に着いた。裁判長が無期懲役を言い渡す間も身動きはしなかった。

 これまでの公判で、星島被告は常にうつむき加減でほとんど身動きすることはなかった。この日も、表情に生気はなく、裁判長に促されるままゆっくりと傍聴席に着いた。

 被告人質問の際には「女性を調教しようとした」「恋人になれると思った」などと、消え入りそうな声で身勝手な異性への“思い”を語っていた星島被告。

検察側が遺体解体の手法や感触などを約3時間半かけて細かく質問したときには、動揺した様子で「絶対に死刑だと思います」と叫び出した。騒然とした中で、検察官は「そんなことは聞いていない」とたしなめたほどだ。

 東城さんの遺族は、すべての公判を傍聴。母と姉が証言台に立ち、癒されることのない悲しみや怒りを星島被告にぶつけ続けた。

 東城さんは3人姉妹の二女。将来、美術や服飾関係の仕事に就くことを夢見て、美術関連の会社でアルバイトをするなど、将来に向けて着々と準備を進めていた。

 しかし、その人生も身勝手な犯行により突然閉ざされた。昨年4月18日、同居していた姉が帰宅すると、先に帰っているはずの東城さんの姿は見当たらなかった。近所を探しても見つからず、途方に暮れて自室に帰ると壁に血痕を見つけた。不安が大きくなる中、駆けつけた両親らとともに東城さんの無事を願ったが、2軒隣の部屋で東城さんは命を奪われた。

 法廷では、東城さんの切断された遺体が大型モニターに映し出されるなど、遺族にとってはつらいものとなった。それでも、母と姉は傍聴を続けたことを「後悔していない」と判決を前に断言。母は「娘は本当に無念だったろう。私がその思いを代弁しようと思った」と話す。姉も「苦しんで死んでいったことを分かってあげないとかわいそう」と語っていた。

 だが、そんな遺族の思いも通じることなく言い渡された無期懲役。この日、遺影を持って傍聴した遺族は、がっくりとうなだれて法廷を後にした。

先週出た判決。気になっていて、記事にしようと思っていたのだが、なかなか機会がなかった。

今回気になったのは、判決がどうのこうの、ではなく、その記事の書かれ方。
特に、産経新聞。
読売新聞にもこれに近い論調はあったが、ここまであからさまではなかった。


記名記事でない、ということは、これは産経新聞社としての記事なんですよね。
ぱっと見、感想文にしか見えないのだが、れっきとした、報道なんですよね。

報道機関がこのような記事を書くことに、普段から危機感を持っているのだが、ここまで堂々と書かれると、ぼくの認識が間違っているのではないかと疑ってしまう。


遺族感情を盾にする裁判報道、もうそろそろやめませんか?
もっと、論拠のある、理路整然とした、感情的でない裁判報道をしてくださいよ。


ご遺族の気持ちは、多分、ご遺族当人でないと分からない。
ご遺族の気持ちは、察して余りある。いや、ぼくなんかには、察することすら出来ない。平々凡々と暮らしている一般人が、この手の記事を読んで分かるような、そんな簡単な感情ではない。
犯人を殺したいと思うだろう。同じ目に、いや、それ以上の目に遭わせてやりたいと思うだろう。
いや、そんな言葉にすらできるはずもない、そんな気持ちだろう。

でも、それが判決の理由になっては駄目なのだ。
罪を裁き、罰を与える権利は、国家にしかない。その権利を持つ国家が、ひとつの罪を裁く場合には、それ相応のきちんとした論拠がなければならない。それを、論理の破綻なく説明できなければいけない。感情的ではいけない。公平でなければいけない。
遺族にも、被告にも、どちらに偏ってもいけない。
命の尊さと、犯罪の愚かさを、量刑で広く示し、国民に示さなければならない。
そうして出てきたひとつの結論が、一審の「無期懲役」という判決である。

この記事は、報道機関である産経新聞が発した記事である。そうである以上、その記事にはその産経新聞の考える理念と、報道機関が得た事実を元に記事を構成しているはずである。
この記事、邪推なしに、普通に読めば、「遺族の思いは、判決に反映されるべきだ」というふうに読める。

これは、産経新聞さんの理念に基づいた考えですか?
であるならば、現行刑法の理念を根本から覆すべきである、というのが産経新聞社の理念ですか?
遺族の感情を、国民全員で共有すべきである、という考えですか?
であるならば、被告の親、家族、親類縁者はすべて、蔑まれるべきですか?

犯罪を憎むということを訴えるために、遺族感情を利用するのは正しい。
しかし、判決が甘いということを訴えるために、遺族感情を利用するのは間違いだ。
今後、裁判員制度が開始されるにあたって、判決を一緒になって出す可能性のある一般市民に対し、偏った報道はすべきでないと考える。
均等に、正確に、理性的に、報道すべきである。

以上、これは、ぼくの考え。
産経新聞の考えとは、違う。

違いますか?



25日、一審量刑を不服として、検察が東京高裁に控訴した。
理由:
「判決が死体損壊などを軽視して死刑を回避したのは重大な判断の誤り。殺害と死体損壊は一体の犯行。極めて残虐で死刑が相当」
極めて明快で、極めて冷静な、筋の通った、また国民を向いた、控訴の判断である。
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テーマ : 気になるニュース
ジャンル : ニュース

生後一ヶ月の赤ん坊が笑う?

生後一ヶ月って、普通、笑わないよな?
・・・・・
にやり、「けけけけ」、にやり。
・・・・・
!!!!!!?????????!!!!!!!???????

今朝、早起きした。
最近、能動的に早起きである。調子が良い。

いつもの朝なら、泣き叫ぶ三男をよそに、ぼくは出社支度、長男次男は登園準備、妻は男どものケツをたたく。三男は、普段、泣いても誰にも相手にされないのだ。
可哀想な、三男。

でも、今朝は早起きしたので、余裕がある。
泣き叫ぶ三男を、おひざにだっこだ。
「べろべろべろべろ、ばあああ」
「しゅばしゅばぶれれろろろろ~」
「んんんん、っぱっ、っぱっ、っぱっ」

三男は、じいっと、ぼくの顔を見る。
この時期、まだしっかりとは見えていないはずだが、じいっと、ぼくの目を見ている。

こいつ、まばたきしないなあ。


すると突然、
三男は、口と尖らせ
「う~~~~」
と、うなった。
そして、口角をにやりと上げ、
「っけけけけけけ」
ってな感じで、笑ったのだ。

赤ん坊が泣く、笑う、というのは、生き抜くための本能である、と、何かで読んだことがある。
相手にされない赤ん坊は、早くに笑い始めるのか。
生きるために。



確か、長男は、半年くらい笑わなくて、すごく悩んだ。
次男は、3ヶ月くらいで、ぼくが笑いのツボを発見し、面白がった。
三男は、1ヶ月で、初笑いだ。

次の子は、笑いながら出てくるのか?
ん? 次の子?
いや、考えられない。

もういい、寝よう。

テーマ : 今日の出来事
ジャンル : 心と身体

脳みそ血流測定器で「擬態鬱」は見抜けるか?

前々回の記事『昨日のNスペ「うつ病治療 常識が変わる」』で、脳みそ血流測定器というものが出てきた。
これについて、「擬態鬱もなくなる」といったご意見を頂いた。
ぼくも、あの番組を見ながら、同じことを思った。うそ発見器みたいだな、と。
「あの機械で高橋アナウンサーが鬱だと判明したら・・・」ということを書いているのだから、間違いない。

また、コメント中の「擬態鬱」という言葉に、びびびっと反応したのも間違いない。
そのあたりの理由は、過去記事参照のこと→『「擬態うつ病」

で、実際のところ、脳みそ血流測定器で「擬態鬱」は見抜けるのだろうか?
今回、その件を考えてみたい。



まず、そもそも「鬱」とは何か、から話を始める必要がある。
鬱が分からないのに、擬態鬱が分かるわけがないのだ。

鬱病とは、「気分障害の一種であり、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などを特徴とする精神疾患である」(Wikipedia「うつ病」より引用)

これにより、鬱病は精神疾患であり、身体疾患ではない、ということが分かる。
では、この鬱病の原因は何か。

一般的には、鬱の原因には内因性と外因性の2種類がある、と考えられている。

内因性の鬱:
  身体疾患によって生じる鬱状態。
  単極性鬱病、反復性鬱病、双極性障害(躁鬱病)などがある。
  但し、その疾患が明確になっている場合は、鬱病とは言わない
   (脳腫瘍、脳血管障害、アルツハイマーによる鬱状態などは、鬱病とは言わない)。
心因性の鬱:
  心理的要因、ストレスによる鬱状態。
  厳密に言うと、これは重度の適応障害であり、鬱病ではない。

両方とも、鬱状態としての症状は同一である。
適応障害から心因性の鬱、そして内因性の鬱へと進行することもある。
ちなみに、適応障害から、身体的異常が生じることがある。これを、自律神経失調症、心身症などという。

これ、ぜ~んぶ、違う病気である。
治療方法も違う。個人差もあるので、同じ病気でも人によって薬が違う。
まったく薬の効かない場合もある。

では、内因性の鬱のメカニズムは、どうなっているのか。
これが、いまだ仮説の域を脱していないのだ。
頭の中のどこがどうなると、単極性鬱病になり、どうなると双極性躁鬱病になるのか、まだ分かっていないのだ。
内因性の鬱で書いたように、メカニズムがはっきりしている鬱は、鬱病とは言わない。
理由よく分からないが、セロトニンの再吸収を阻害する薬を投与すると鬱状態が改善することから、セロトニン仮説というものがあるが、証明されたわけではない。
また、海馬神経損傷仮説というものもあるらしい。
これが明確になると、鬱病という呼ばれ方ではなく、「セロトニン欠乏症」とか、「海馬神経欠損症」などというネーミングになるのだろう。

では、心因性の鬱に対し、これらの薬が効かないか、といえば、そういうことでもないらしい。
脳に作用する薬なのだから、どんな人にでも何らかの神経作用が出て当然である。つまり、「薬が効かないから心因性だ」とは言えないのだ。
また、バファリンを飲んでも治らない頭痛のように、内因性の鬱なのだけれど、たまたまその人に合わない薬なのかもしれない。
ノーシンなら効くかもしれない。
そんなことは鬱にはよくあることだ。

ということは、内因性の鬱か心因性の鬱かを臨床的に明確に判断することは、いまのところ不可能だ、ということになる。
とりあえず、鬱な気分が継続して現れる状態を、十把一絡げに「鬱病」と言っているに過ぎないのだ。
時々躁状態が出るのであれば躁鬱病だし、何らかのストレスが要因であることが明確になったのであれば、心因性鬱となる。
これら「鬱病」状態の症状だけを見たときに、重症軽症以外の区別は不可能である、というのが現状だ。
だから、先日のNスペのように、医者によって診断結果が違ったりするのだ。

もっと面倒なことに、心因性の鬱から、内因性の鬱に変化することもある。
例えば、ストレスで眠れない状態が何日も続き、ホルモンバランスだの脳内物質だの、わけのわからないものに変調をきたし、ある日突然脳みその一部が爆発する。ぼん。
(多分、ぼく自身はこれだったのではないかと考える)



鬱の定義、概念、実例については、これでお分かりだろうか。
では続いて、「擬態鬱」について考えてみよう(なんだか大学の講義みたい。調子に乗ってきた)。
「擬態鬱」については、明確な定義がないが、ここでは「仮病」、つまり、自分は鬱であると意図的に嘘をくこと、というふうに仮定する。

以下は、ぼくの考えである。

この「擬態鬱」と、心因性の鬱病の間には、生理的に大きな差は無いのではないかと考える。
「鬱病だ、と嘘をつく」ことと「鬱病だ、と思う」ことに、客観的にはほとんど差はないだろう。
鬱の診断には、ひとつひとつの質問に対し点数を付けていき、何点以上だったら鬱病、っていう例の表があるのみだ。それ以外の診断方法はない。つまり、現段階では、問診に嘘を書けば、鬱病になれる。
もし、他の診断方法があれば、それは鬱病ではなくなる。脳血管疾患とか、セロトニン欠乏症、などという病名が付けられ、鬱病とは切り離されることになるだろう。



だから、現段階で、脳みそ血流測定器でもって、その人が何病か、あるいは仮病かどうかを明確に当てられるようになったとしたら、それは既に鬱病ではなく、別の疾患名が与えられるはずだ。
現段階で、脳みそ血流測定器で分かるのは、診断に対する客観的な裏づけ、のみである。
鬱状態で病院に来た人がいたとしよう。問診の結果、その人が躁鬱病である確率が50%のような場合に、この機械を使うことで、躁鬱病であるかそうでないかが、もっとはっきりする、というものだ。
躁鬱病でなかったときに、では何病なのか、ということは、相変わらず分からない。
頭痛を訴える人がいて、MRIで検査すれば、脳血管疾患かどうかは明らかになるだろう。しかし、脳血管疾患でない場合、本当に頭痛で苦しんでいるのかどうかは、分からない。それと一緒だ。

ここを間違えてると、えらいことになる。
脳みそ血流測定器でもって、心因性の鬱を患う人に、「おまえの血流は問題ない。だから、おまえは擬態鬱だ」なんて言ったら、「そうなのか、やっぱりぼくは駄目人間なんだ」となっちゃう。

この機械は、治療方針を決めるために使用されるべきで、病気か否かを判断するために使用すべきではないと考える。
ちょうど、頭痛を訴える人を検査して、どうしても頭痛の原因が分からないから、「あなたは頭痛ではありません」と言うのと一緒だ。
「擬態鬱」を論じるのであれば、他の仮病と同じく「仮病は悪いことだ」という道徳的観点で論じるべきである。

もし、仮病かどうか調べたいのであれば、うそ発見器のほうが、実績があり、信用できそうだ。「擬態鬱」に対して、どのくらいの効果があるのかは、疑問ではあるが。



ここまで、ぼくは敢えて「現段階で」という言葉を入れた。
将来、そうでなくなる可能性は大いにあると考える。また、そうであってほしいと考える。
鬱病の科学的解明が行われ、原因がはっきりし、いわゆる鬱な気分とは明確に切り離され、治療方針が立てられれば、それはとても素晴らしいことだ。
また、心因的鬱である、ということがはっきりすれば、明確にそこにポイントを絞ったカウンセリングや、ストレッサーの除去で治癒する、ということになるし、症例を重ねることで、その技法も磨かれるだろう。
前々回の記事で、「鬱病が、本当に「心の風邪」となることを、強く望む」というようなことを書いたが、その意図はこういうことである。



ただ、やっぱり仮病する人は仮病する。
ぼく自身「頭が痛い」と言って会社を休むこと、よくあるもん。
だったら、各種ずる休みは、「擬態風邪」「擬態頭痛」「擬態発熱」「擬態親戚不幸」というべきだ。「擬態鬱」だけをことさら強調する必要はない。
特別視するのは、それは未だに鬱病が被差別的な病気であり、未知の要素がまだまだ多い病気であるという証拠である。
「心因性鬱」を「擬態鬱」と見なすことで、「怠け者」のレッテルを貼り、村八分にするための、「正常な」神経を持った人間の理屈である。
もしかしたら、医療費抑制を目論む国家の陰謀かもしれない。
(うわ、すごい卑屈な考え)

以上、ちょっと熱め。

ダイエットの開始と鬱

ついに、この日がやってきた。
体重がまったく減らないので、食事に手をつけることを決断。
食事療法、つまり、ダイエットだ。

ダイエットには、ダイエットの目標数値が必要である。
痩せるためのダイエットは、一日の総摂取カロリーをある一定値以下にコントロールすることと同じである。
このため、日々の運動量と、年齢別の基礎代謝量等を考慮して、一日の食事量の計算を行う。
収入(食事カロリー)より支出(消費カロリー)が多ければ、貯蓄(蓄積脂肪)は減っていくハズなのだ。
皆様のご家庭の家計と一緒である。

でも、結構、計算が面倒である。

よって、一般的な数値を使用したかんたん計算式で代用することにする。

身長170cmの適正体重は、1.7×1.7×22=63.58kg(適正BMI判定値を22とした場合)
これに25~30を掛けたものが、適正なカロリーなのだそうだ。
年齢・性別にもよるが、食事制限をするのだから、最低値の25で計算しよう。
63.58×25=1,589.5kcal

ぼくが1日に摂取するカロリーは、1,589.5kcalが適正だ、という結果が出た。

パン朝食+セブンイレブンの幕の内弁当クラスの食事(約600kcal)×2で、だいたい1,600kcalだ。
もちろん、おやつなし。デザートなし。果物なし。砂糖入り飲料なし。宴会なし。晩酌なし。
なんだか、簡単にイケそうな気がするのだけれど。

直感より理論。論より証拠。
やってみよう。

また、ダイエットとともに、日常の運動量も増やすことにする。
雨や雪や大風の日以外、1日30分、通勤とは別に歩行する。

以前やっていた、地下鉄駅2駅分歩く、というやつの復活である。
要は、ここのところサボっていた、ということ。



このダイエット大作戦、実はもうひとつの効果も狙っている。
「なにかを始めた」という実績を作っておきたいのだ。
ダイエット大作戦、これに失敗したって、たいした損害を被るわけでもないので、この程度のことは実施しておいたほうが良いだろう。「始めることが出来た」という実績を作っておくことは、今後のためにもなる。



・・・・・・と、ここまで書いておきながら、実は、この考え方が、ぼくの鬱特有のものだったりすることに気付いた。
何のための実績作りか。
失敗しちゃいけない何かを始めるための、実績作りだ。

「失敗しちゃいけない何か」
うわ、鬱っぽい。
漠然としており、断定的であり、自己命令的である。
鬱々な考え方だ。
しかも、それを実施するための準備をしよう、というわけだ。
石橋を叩く鬱。いや~っ!!



でも、実際問題として、いまはそういう考えをしちゃっているのだ。
「失敗しちゃいけない何か」が何なのか、本人がぜんぜん分かっていなのに、失敗することを恐れている。
何に対して恐れているのか分からないまま、何かを恐れている。

そう、来月からの、新しい仕事が決まったのだ(新しいプロジェクトが始まる、ということ。転職じゃないですよ)。
ぼくのことを知らない人が、「いったいどんな奴が来るのだろう」と、ぼくのことを待っている。

うん、大体、分かっているんだ。
「失敗しちゃいけない」ことなんて、何ひとつないのだ。
失敗したら、給料が貰えなくなる? 信用が傷つく?
いや、減るかもしれないが、貰えなくなることはない。
そもそも、現段階で信用などない。そもそも会ってもいないのだから。

理屈と感情のギャップ。
なにはともあれ、とりあえず、ダイエット開始だ。
でも、今日は小雨だったので、歩かない。

今日は、ベートーヴェンのピアノソナタ『少女に何が起こったか』でも聴いて、さっさと寝ることにしよう。
「この薄汚ねぇシンデレラ!」(故・石立鉄男)

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番&第14番&第23番ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番&第14番&第23番
アシュケナージ


良く分からん、という方は、「熱情」「少女に何が起こったか」でググッてみてくだされ。

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昨日のNスペ「うつ病治療 常識が変わる」

結構な期待を持って見たのだが・・・昨日のNスペ『うつ病治療 常識が変わる』。

好まざることに、鬱を患っているぼくにとっては、まあ常識の範囲内というか、基本的には知っていることばかりだった。
確かに、薬の量や悪徳医師にはびっくりしたし、イギリスでの取り組みなど、興味を引く点もあったのだが。
脳みその血流を見て病気を客観的に判断するのは、特に興味深かった。

鬱病患者の見る番組ではなかったように思う。
医者を変えるにも、その元気が無いし、薬に対して文句を言うにも、その気力すら湧かない。
薬漬けの人って、そうなっちゃってるから、なかなか自分ひとりで病院を変えようなんて考えられない。
認知療法するにも、お金がかかるし、かといって重症鬱がこれやって、おそろしい結果にふらふらと迷い込むことだってあり得る。
そんなこと、分かっているんですよ。でも、鬱々なときは、それすら出来ないんですよ。
認知療法のベースには、「常識」というものが必要だし、その常識に従って、ゴールをきちんと見据えなければ失敗してしまう。暗い心のままで、これやって、「あ、死ねばいいんだ」なんて思っちゃったら、大変だ。
これを見て、鬱な方々が変な勘違いをしないことを祈る。

だから、周りの人のサポートが必要なのだ。
そういう意味で、鬱病患者の家族が見るには、良い番組だったかもしれない。
一般的には、鬱病は周りの人の理解、サポートが不可欠な病気だ。
この番組は、患者の家族は鬱にどう向き合うか、国や、医療に携わる人は、これから一億総抑鬱状態を迎えるにあたって、何を考えなければならないのか。
そういう点に焦点をあてた、という意味では、非常に意義のある番組だったのではないか。

あと1点。
「鼻くそほじって、オレ関係ねえよ、って感じで見ているアナタ、あなたも鬱になる可能性はあるんですよ」的な要素がかけていたのではないか。
1時間15分の番組構成を考えると、敢えて必要だとも思わないが。



脳みそ血流測定器で、実験台になった高橋アナウンサーが、実は鬱病だったと判明したら、この番組は鬱病患者にとっても良い番組になっていたかもしれない。
高橋アナウンサーが「鬱病希望の星」になれたかも知れないのだ。
一時期、「おはよう日本」のメイン女子アナ(?)だったことのある人が、ですよ。

冗談はこの辺で。
とにかく、もっともっと鬱病、躁鬱病に対する知識、意識が高まることを望む。
そして、本当にこの病が「心の風邪」となり、1週間程度で治ってしまうような病気になることを、強く強く、望む。
救われるのは患者だが、その患者が救われることで、その周りの人も一気に救われる。

ぼくも、このブログで「啓蒙」とまではいかないまでも、そんなことが出来ればいいなあ、などと変な野望を抱き始めている。
なんだか、別の病気に罹っている気がしないでもないが、まあいいか。

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結局体重計測せず

昨日予期していた、三男とぼくの体重計測は、実施できなかった。
・・・意図していたわけではなかったのだが、結果的に逃げました。

体重を測るためには、当然、三男を裸にしなければいけない。
三男が裸になるのは、風呂の時間である(最近は、午後2時ごろ)。
その時間、ぼくは長男と次男を連れて、買い物に行った。

帰ってきた頃には、もう風呂は済んでいた。
また裸にするわけにもいかず、体重計測はお預けとなった。



そのかわりというわけではないが、今日は、息子どもと、ちからいっぱい遊んだ。
自転車、縄跳び、おもちゃ屋、ブロック遊び・・・。

疲れたので、きょうはこのへんでおしまい。
ばたんと眠りたい気分だが、でも、今日は21時からNHKでうつの番組があるので、見なきゃ。

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恐怖の生後一ヶ月記念行事

三男が誕生して、1ヶ月になる。
宮参りの準備、本格的な風呂デビュー(いままでは台所でベビーバス入浴)、写真も撮っておこう、足型を取ろう、と、イベント目白押し。
生まれました葉書の作成、お祝い返しの選定、いろいろ父も大変なのだ。

でも、ぼくは、三男がいくら夜泣きしても、全然反応しないらしい。
妻がひとり、夜、世話をする。
ほかの事は何でもやりますので、妻よ、夜だけはお願いいたします。

その甲斐あって、三男はぷくぷくと大きくなっていった。
だっこしていても、どんどん重くなっていっている気がする。
ほっぺたも、下に垂れ下がってきた。

ぼくによく似ている。
ほれ。かわいいだろ。
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親バカ。


突然、妻が言い出した。
「体重、測ってみようよ」
というわけで、明日、体重を測ることとなった。

もちろん、乳呑児をそのまま体重計の上に乗せても、駄目だ。
大人がだっこして、体重計に乗り、その後、大人ひとりだけで、体重計に乗り、引き算をするのだ。
だっこして体重計に乗る担当は・・・・・・おそらく、ぼくだ。

きっと、体重計の指し示す目盛り(デジタルではあるが)を、みんなで一心不乱に見るのであろう。
計算もしたがるだろう。
ぼくは、ぼく+三男の体重と、ぼくの体重を、皆に披露しなくてはいけないのだろう。
すでに、心が折れそうだ。

最近体重が増え気味であることを、まだ妻には告白していない。
とりあえず、今日の晩御飯は少なめにしてみた。
わずかばかりの抵抗である。

明日は、ぼくの成長もみんなで見るのだ。
どっちの体重が、より増えているだろうか。
もしかしたら、すごく良い勝負かもしれない。

明日、結果をこの場で発表します。

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西関東逃避旅行(4)

前回の続き。

2009年2月17日(火)午後2時前、八王子から八高線川越行きに乗り、手帳にメモを書きなぐりながら、まもなく高麗川に到着しようとしていた。
深く、鬱々と、悶々としていた。
理由を知りたい方は、『西関東逃避旅行(1)』『西関東逃避旅行(2)』『西関東逃避旅行(3)』を先に読んでください。

小さな峠を超えると、車窓に高麗川の町が広がった。
行政区分的には、「埼玉県日高市」である。

高麗川駅で下車。
「ホームが低いのでご注意ください」とのアナウンスどおり、電車の床面とホームの間に、20cmの段差がある。
高麗川駅より北側は、電化されていない。
乗降口にステップのついたディーゼル気動車が、ガラガラとエンジン音を立てて走っている、ホームが低い、ローカル路線区間なのだ。

ひさしぶりのディーゼル気動車の匂い。
ぼくの田舎にも、こんなのしか走っていない。
発車まで30分以上あるのに、列車はホームでアイドリングしながら、客が乗るのを待っていた。



車内に入ると、数人が既に乗車していた。
みんな、ボックス席を独り占めし、目を閉じている。
ぼくも、空いているボックス席を、独り占め。脚を前の座席に投げ出す。
春のような日差しが差し込む。ガラガラというアイドリングの振動が、眠気を誘う。
昔の思い出が頭を巡る。
中学時代、高校時代の思い出。
ディーゼル列車の音は、ぼくの故郷と同じ音。
ディーゼル列車の排気ガスの匂いは、ぼくの故郷と同じ匂い。

もう、何かを考えようとは思わない。
何も考えなくても良いではないか。
何か考えて、物事は好転するのか?



山、畑、集落、公民館、といった風景が続く。
線路脇の道路を、ランドセルを背負った小学生が走っていた。
ときどき、こちらに向かって手を振る子どももいる。
ああ、列車の少ない場所なんだな、と思う。
そして、ぼくも昔、線路脇に立って、来る列車に手を振っていたのを思い出した。

ときどき、東武鉄道の線路が近付く。
東武東上線は、こんなところまで来ているのか。
八高線のホームとは違い、結構賑わっているようだった。



多分、行動することにしか意味はないのだろうな。
今日は、逃げたことに意味があったのだ。
何かを考えるために、逃げたのではない。
結論を求めて、逃げたのではない。
逃げるために、逃げたのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。

生きるって、そういうことなんだな。
生きているから、生きているのだ。
空気があることに疑問を感じないのと一緒だ。
空気があるから、呼吸をするのだ。
生きているから、生きるのだ。
疑問を差し挟む余地は一切ない。

仮に、深く深く考えて、ぼくが鬱であることの理由が分かったとしよう。
だから、何なのだ?
今、分からなければならない理由は何も無い。
それで鬱が治る保証も、無い。
生きるために鬱を治す、そんな必要も、無い。

悩んで、泣いて、笑って、その結果、自分の人生を生きている。
いずれ自分が死んだとき、何かの肥やしになれれば、申し分ない。
一生懸命生きれば、死んだとき、きっといい肥やしになるだろう。



いくつもの山を越える。
不思議と、トンネルはない。
小さな川、段々畑、古い工場、農家
広い敷地を持つ豪邸と、そこに止まっている3台の軽自動車。
ここにも、生活している人がいる。
学校があり、産業があり、暮らしがある。
みんな、それぞれの環境で、確かに生きている。

荒川の谷を渡り、寄居駅に着く。
東武東上線は、こんなところにまで来ているのか。
秩父鉄道のSLの看板も見える。
行き違いのため、しばらく停車。
対向列車が数分遅れで到着し、それから間をおかず、こちらの列車が発車した。

いつの間にか、山を抜け、景色が開けていた。
遠くに、妙義山、榛名山、赤城山、男体山が見える。
寄居で乗り込んだ、旅行帰りらしき老夫婦が、出発したときは山にもっと雪があって白かったのにね、というような会話をしていた。

新幹線の高架をくぐり、高崎線の線路と合流し、倉賀野という駅に到着。
時刻は、午後4時を過ぎていた。
これから東京に戻れば、6時くらいにはなるだろう。



よし、帰ろう。
目的地は、神田だ。
妻と母と息子たちが待つ、我が家だ。



湘南新宿ラインに乗り、一気に赤羽へ。
そして、京浜東北線に乗り換え、神田に着いたのは、午後6時だった。
一旦、駅を出るために、自動改札に向かう。
切符は、朝に買った、東京→130円区間の切符だ。
「きんこーん、乗車券を持って、係員のいる改札へお回りください。」
え!?

「あのお、通れないんですけど」
「切符を見せていただけますか?」
「はい」
・・・・・・。
「ああ、朝の10時に東京駅に入ったんですね?」
「はい」
「それから、改札は出ていないんですか?」
「はい」
「どうぞ、お通りください」
「どうも」

どうやら、時間をかけ過ぎると、自動改札は通してくれないらしい。
ネクタイ締めたサラリーマンが、東京駅に10時に入り、神田駅を18に出る。
不思議だっただろうな。
さあ、定期で再度入場だ。
いざ、家に帰ろう。


以上で、西関東逃避旅行はおしまい。
次に逃避するときは、北関東を攻めようかな。


行程・2009年2月17日(火)
東京10:10→10:20品川
    6.8km 京浜東北線大船行
品川10:41→11:23茅ケ崎
    51.8km 東海道本線快速アクティー熱海行
茅ケ崎11:32→12:25橋本
    33.3km 相模線橋本行
橋本12:33→12:44八王子
    8.8km 横浜線八王子行
八王子13:09→13:50高麗川
    31.1km 八高線川越行
高麗川14:32→16:02倉賀野
    60.9km 八高線高崎行き
倉賀野16:14→17:41赤羽
    87.4km 高崎線(湘南新宿ライン)国府津行
赤羽17:47→18:10神田
    11.9km 京浜東北線大船行
総距離:292.0km 東京から豊橋までの距離に匹敵!
運賃:130円!


テーマ : 不安定な心
ジャンル : 心と身体

西関東逃避旅行(3)

残業で、ひさしぶりの終電帰り。
電車の中吊り広告で、こんなのを発見。
週刊新潮2月26日号の広告。
「奇妙な笑い」「さまよう視線」
「不眠」「ツメ噛み」「5キロ減」
麻生さんは「鬱病」!
だから、何?


気を取り直して、前回の続き。

2009年2月17日(火)昼の12時頃、仕事をさぼったぼくは、妻のパンティー、いや、トリンプの前社長の本で泣きそうになるのを我慢しながら、相模線を橋本に向けて北上していた。
どうしてこんなことをしているのか、わけがわからん、という方は、『西関東逃避旅行(1)』『西関東逃避旅行(2)』を先にご覧ください。



車内はとてものんびりした空気が漂い、冬の日差しを受けた社内は、ぽかぽかと暖かい。
でもぼくは、分からなくなっていた。

ぼくはいま、何から逃げているのか。
何をするために、厚木、海老名を通過しているのか。
なぜ、トリンプの前社長が書いた本を読んで、泣きそうになったのか。
ぼくは、何を知りたいのか。
知って、どうしようというのか。


高架の上と、その下の線路に、緑色のラインの電車が走っている。
下はJR横浜線、上は何だ?
京王は、緑色ではないはずだが・・・。
・・・あ、都営地下鉄新宿線の緑色ラインが、ここまで乗り入れているのだ。
それにしても、よく似ている。横浜線と都営新宿線の色。
泣きそうでも、鬱々でも、鉄道魂は生きている。

相模線の終点・橋本に着いた。
電車を降り、階段を上り、跨線橋を渡り、階段を下り、横浜線下りホームに向かう。

5分ほど待つと、横浜線の八王子行き電車がやってきた。
結構、混んでいる。座れそうにない。
いくつか駅に止まり、わりとすぐに終点・八王子に到着。



ここで、八高線に乗り換える。
八高線の次の電車は、13:09発、川越行き。
20分以上、余裕がある。
時刻は、もうすぐ午後1時、というところだ。

ホームのベンチに座り、妻が作ってくれた弁当を広げ、食べる。

まさか、八王子で弁当を広げているなんて、妻は思ってもいないだろう。
これを聞いたら、妻はどんな気持ちになるだろうか。
吹きさらしのホームは、風が冷たかった。
震えながら、ミニハンバーグをかじった。
10分ほどで弁当をたいらげると、八高線に電車が入ってくるというアナウンスが聞こえた。
弁当箱を片付け、八高線のホームに向かう。
川越行きの電車が待っていた。

ボタンを押し、扉を開ける。
電車に乗り込み、扉を閉め、座る。
暖かい。



もういちど、鞄から本を取り出し、続きを読む。

ムダな仕事はもう、やめよう!
吉越 浩一郎
涙を拭くためのパンティーは必要なさそうだった。
もう、泣きそうにはならなかった。

読み始めると、一気に最後まで行ってしまう。
「あれ?」と立ち止まらなければいけない箇所が、ほとんど無い。
首尾一貫した考え方、哲学。

電車はいつの間にか発車していた。
車窓には米軍横田基地が広がっていた。
道路標識が、日本語+英語だ。「止まれ/STOP」。



今日、逃げてはいけない仕事から、ぼくは逃げた。
逃げたかったから逃げたのに、そこにぼくは理由を求めていた。
いやだから逃げたのだ。逃げてはいけない仕事だったから、余計に逃げたかっただけなのだ。

この本で、著者は、「仕事は私生活ではない」と言っていた。
仕事と私生活を混同してはいけない。
仕事に時間を掛ければ、その分、私生活にしわ寄せが来る。
仕事は効率よく、やるべきことだけをやり、さっさと家に帰って、私生活を楽しもう。
そのことで、仕事の質も上がり、私生活の質も上がる。

この本は、そういうことを語っていた。

ぼくは、仕事が原因で、鬱になった。
でも、仕事をしないと食べていくことはできない。
だから、仕事をしなくてはいけない。
嫌いな仕事でも、無理をして、頑張らなくてはいけない。

いろいろなことが、頭を巡った。
妻のこと、子どものこと、両親のこと、友人のこと、親戚のこと、仕事のこと、趣味のこと。

このとき、手帳に書きなぐったメモが残っている。そのまま転記しておこう。
仕事がつまらない
何のための仕事?
金を稼ぐため。
稼げている?
Yes.
では、つまらくても良い。少なくすれば良い。やるべきことだけを、きちっとやっていれば問題ない。
仕事は、生きるための手段である。原始において、狩りをするのと同じである。楽しいわけがない。(興奮はするかもしれないが)
仕事=生きることになっていないか?
生きることは、決して、労働することではない。
遊ぶこと。育つこと。楽しいこと。悲しいこと。
稼ぐことではない。
もっと、遊ぼう。育とう。楽しもう。悲しもう。仕事なんかしている場合ではない。
さっさと、効率よく。
土日は遊ぶ。

一生懸命が悪い?
鬱はほどほどが肝心?
そんな馬鹿なことがあるか
一生懸命、遊び、働き、笑い、泣き、生き、死ぬ。
これ以上すばらしい人生あったら教えてくれ。
鬱は一生懸命な人がなる病であるならば、鬱は、一生懸命になってはいけないのか?
馬鹿馬鹿しい
一生懸命になれなくなる病が、鬱なのだ。
いや、一生懸命さに偏りがあるとき、鬱になるのだ。
何か忘れていないか?
一生懸命に泣くことなど、よく忘れそうになりはしないか。


電車は、小さな峠を一気に越え、高麗川に到着しようとしていた。

西関東逃避旅行(4)』につづく

テーマ : 不安定な心
ジャンル : 心と身体

西関東逃避旅行(2)

前回の続き。

10:41発の快速アクティーに乗って、品川駅を出発。
まず、目指すは茅ヶ崎。
東海道線をぶっ飛ばす。
なぜぼくがアクティーに乗って茅ヶ崎を目指しているのか、すべては『西関東逃避旅行(1)』に書いてあるので、わけのわからない人はそっちから読んでくださいな。

乗った車輌は、E233系3000番台。
あの、中央線東京口や、京浜東北線の新型電車と、同型だ。
しかも、東海道本線仕様(2階建てグリーン車連結)を意味する3000番台は、この1編成しか存在しない。
それに乗ることが出来てしまった。幸先がいい。

川崎、横浜、大船と、電車はどんどん進んでいく。
何度も乗ったことのある路線だ。でも、平日の昼間に乗ると、なんだか新鮮だ。
外は寒いが、電車内のお日さまが差し込む窓側の席は、ぽかぽか陽気。
しかも、最近の電車は紫外線カット窓ガラスだ。お肌にも良い。

でも、あまりぼけぼけもしていられない。
茅ヶ崎はすぐそこだ。
ここより先に行ってしまうと、袋小路となり、追徴料金が発生してしまう。
茅ヶ崎で降りて、相模線に乗り換えなければならない。



11:23、茅ヶ崎に到着。
この駅で降りるのは、初めてだ。
本当なら、改札を出て、ぶらり散歩をしたいところだが、そういうわけにはいかない。
改札出ると、1,000円近く取られるのではないか。
構内のトイレに行き、スッキリして、冷たい缶コーヒーを買って、相模線のホームに向かう。



相模線は、205系の4両編成。
あれ~、ドアが開いていない。
発車時刻まで、あと3分あるのに。中に人が乗っているのに。

ホーム上で約5秒、迷って、そして、ドアの横にボタンを見つけた。
寒冷地や、比較的乗客の少ない路線・時間帯は、首都圏でも押しボタンでドアを開ける仕組みになっている。
ここ相模線もそうだった。

ボタンを押す。「きんこ~ん、きんこ~ん、きんこ~ん」という音がして、扉が開く。
乗車し、当然のマナーとして、内側から「閉じる」ボタンを押す。
「きんこ~ん、きんこ~ん、きんこ~ん」という音と共に、扉が閉じる。
自分の押したボタンで鳴っていると思うと、結構うるさい。

着席。コーヒーを飲み干す。
さて、空き缶を捨てて、と。

あ、ゴミ箱は、ホームにしかないのだ。
また外に出なければならない。
ボタンを押す「きんこ~ん、きんこ~ん、きんこ~ん」
当然のマナーとしてドアを閉じようと思うが、外側には「閉じる」ボタンがない。閉められない。
ゴミ箱にダッシュし、缶を捨て、また同じ扉から電車に乗り、内側からドアを閉める。
「きんこ~ん、きんこ~ん、きんこ~ん」
電車に乗って静かに座っている数名が、ちらりとこちらを一瞥し、また自分の世界に入る。
ごめんなさ~い。



定刻どおり、11:32、電車は茅ヶ崎を出発した。
ああ、そういえば、品川で本を買ったのだ。
トリンプの社長をしていた人が書いた、仕事の効率化の本だ。
ムダな仕事はもう、やめよう!ムダな仕事はもう、やめよう!
吉越 浩一郎



読みながら、何故だかどんどん暗くなっていく。そういえば、朝から気分は下向きだったのだ。
まさか、この、通勤の片手間で読むような本で、ぼくは泣いてしまうのか?
泣いてしまった場合、涙はトリンプのローズピンクのパンティーで拭くべきなのか?
妻のパンティーは、しまむらだ。しまむらで、トリンプのパンティーは取り扱っているのか?
途中で、本を読むのをやめた。



結局、トリンプのパンティーは、必要なかった。
でも、この感情の起伏、なんなのだろう。
気温差のせいか?花粉症か?

ふと外を見ると、厚木基地を離陸した戦闘機が飛んでいる。
相模線終点・橋本は、刻々と近付いていく。

せっかく会社を休んで逃避行しているのだ。
この本を読んで泣いた理由、逃避行したくなった気持ち、そのへんを突き詰めると、鬱々の理由が分かるかもしれない。
そんな期待がどこかにあった。
また、分からなくてはいけない。そのために、今日一日、ぼくは逃げるのだ。
そんなふうに、逃避行しているにもかかわらず、ちょっとずつ自分を追い詰めていく自分がいた。

西関東逃避旅行(3)』につづく

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