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どうか壊れませんように

これから毎日、ピアノを弾くぞ!と決めたのが、20日の夜。
それから、6日が経った。

結果、まともに弾けたのは、23日だけ。
他の日は、なにをやっていたかというと・・・

21日 残業 午前1時帰宅
22日 残業 会社近くに宿泊
23日 休日出勤 20時頃帰宅 <=弾けた!
24日 残業 会社近くに宿泊
25日 休日出勤 19時頃帰宅 即寝る
26日 全休 金魚の水換え、買い物、散歩

あわよくば秋の大型連休だったのが、まるつぶれ。
精神疲労が蓄積しつつあるのが分かる。
どうか、壊れませんように。


会社に行く。
結合試験中、おかしなデータが生成されていることに気付く。
原因を考える。
 ・データベースに設定したコードが定義どおりじゃなかったから?
 ・プログラムのフラグ設定にミスがあったから?
 ・バッチプログラムが異常停止したから?
どれも、不正解。
本当の理由は、客の提示した仕様に矛盾があるから。
また、それに気が付かずにシステムの基本設計をしちゃったから。
客には「直せ」と言われる。
おまえの頭を治してやろう、と思う。


ところ変わって、我が家。
朝、目覚まし時計が鳴る。
寝る前にセットしたのだから、鳴るのは当然なのだが、何故か時計を止めず、鳴る理由を考えている。
 ・データベースに設定したコードが定義どおりじゃなかったから?
 ・プログラムのフラグ設定にミスがあったから?
 ・バッチプログラムが異常停止したから?
もちろん、どれも、不正解。
おいらの頭を治してくれ、と思う。
(エンジニアさん、プログラマさん、こういうの経験ない?)


ああ、ピアノが弾きたい。
これから少し、弾こう。
弾いたら、少しは楽になるかな。



雨が降っている。
なんだか、寒いな。
家族はもう、みんな眠ってしまっている。
明日からの仕事も、こんな調子なんだろうか。
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テーマ : 心のつぶやき
ジャンル : 心と身体

ぜんぜん弾けなくなっちゃってるよ

なんとなく、ふと、ピアノが弾きたくなった。
我が家のピアノは、夜でも弾ける、電子ピアノ。
なので、たった今、ちょっと弾いてみた。
バッハのパルティータ1番。

ぜ~んぜん指が動きません。
トリルがころころと転がってくれません。
1曲目のプレリュードをなんとか弾き終わったところで、もう、やめた。

まずい。
やばい。
ピアノが、ストレス解消の手段でなくなっている。
慌てて、ハノンの練習曲の1~6を連続で弾いた。
大丈夫。指は何とか動く。
でも、あっという間に腕が筋肉痛。

かなり、ショック。
昔は苦もなくできていたことが、出来なくなっていたことのショック。
幼少期から青春時代にかけて積み上げてきたものの、喪失の危機。


やばい。
決めた。
これから、1日1回、ハノンとツェルニーの練習曲を必ず弾こう。
デスマーチよりも、大事な問題だ。




脳みその中には、「一次運動野」という領域がある。
頭のてっぺんから、耳の上にかけての、細長い領域である。
この領域は、脳機能のなかで、運動を司る役割を持つ。

この一次運動野は、脳みそ上における位置と実際の運動箇所とが、1対1で対応している。
頭頂部は、足。
少し下に行くと、手。
詳しく見ると、小指~親指の順に並んでいる。
その下は、顔。
額、眼球、口と続いている。
その下に、舌があって、運動野は終わる。
これをわかりやすくした図が、「ホムンクルス」と呼ばれる、有名な人には有名な図である。

詳細は、Wikipediaできちんと説明されているので、そっちを読んでね。
一次運動野 - Wikipedia

このホムンクルス、他に比べて、手の領域が広い。
また、人によっても、領域の広さに違いがある。
手の器用な人は、手の不器用な人に比べて、この部分の領域が広い。
しかも、これは、訓練によって広げることが出来る。

ピアノを弾くときに問題になるのは、3~5指(中指、薬指、小指)がきちんと分離されて動くかどうか、である。
脳みそのなかで、きちっと3~5指の領域が分割されれば、指もきちんと動く。ハズだ。
脳みその神経細胞を、きちんと整理整頓するのだ。
「おまえはいままで中指だったり小指だったりしたかもしれないけど、これからは、薬指の第三関節だ」
というふうに。




仕分けてやる。
中指と薬指と小指を、ざっくり別々にしてやる。
ハノンとツェルニーを弾くときに、「割れろ、割れろ」と念じながら、弾いてやる。
訓練だ!
ホムンクルス改造計画だ!



いつか、もう一度、人前で弾けるように。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

今、出来る最善のこと

これは、1年くらい前に、ある人から聞いた話の受け売りである。
そのときは、聞いていていまひとつ腑に落ちない感覚があった。
納得はするのだけれど、それってただのべき論だよね、といった感覚。

1年経った今、ようやく、自分の言葉にすることが出来そうな気がしている。
だから、文章にしてみよう、と思う。




「おまえはベストを尽くしているか?」
1年くらい前、酒を飲みながら、その人は僕に向かって言った。
会社の先輩である。どうってことない、出来れば聞き流しておきたい、飲みながらの説教の類である。

ただ、それを言った先輩は、僕の病気のことも知っているし、頑張りたいのに頑張れない、頑張り過ぎると死んじゃいそうになる状況であったことについても、理解をしてくれている人だった。
しかも、はじめて同じプロジェクトで仕事をし始めた頃だった。
それだけに、少なからず、僕はショックを受けた。
まるで、「オマエの頑張りは足りないから、もっと頑張れ」と言われているようだった。

頑張っているようには見えないかもしれないけれど、僕なりに頑張っているという自負もあった。
頼りにしていた人なだけに、余計にショックが大きかった。
僕を非難しているわけじゃない、一般論として喋っているだけなんだ、ということは、頭では理解できていても、言葉はぐさぐさと胸に突き刺さった。
「ベストを尽くさない奴は、仕事の出来ない奴だ」
「仕事だけじゃない。家庭だってそうだ」
とも言われた。

言っていることは正しいかもしれないけど、それだけじゃないでしょ、という思いがあった。
だから、酒の力を借りて、一応、反論はしてみた。
頑張りたくても頑張れないことがあるということや、何でもかんでもベストを目指すと潰れちゃう、ということを。

具体的にどんなやりとりをしたのか、もう覚えていない。
でも、その人が言ったひと言が、妙にこびりついた。
「どんなときにも、必ずベストな選択がある」




今、僕は、わけのわからない仕事をしている。
自分のやっていることが、何の役に立っているのか、よく分からなくなる。
誰のための仕事なのか、この仕事の目標はどこなのか、そんな基本的なことが分からなくなるような出来事が毎日のように起きる。

もともと精神的に丈夫な人間ではないので、こういう状況には基本的に弱い。
すぐに、へこたれそうになる。
逃げ出したくなる。
でも、当然だけれど、簡単に逃げ出すことは出来ない。
だから、処世術として、自分のやっていることに理由をつけるようになった。
今、自分がやっている行為の言い訳を用意しておくのだ。

言い訳は、自分がとりあえず納得できて、人に説明できるものであれば、何でもいい。
今の自分の仕事に、根拠を作ってしまうのである。
「僕は、これがいちばん良いことだと思ったからやっているのだ」
と思い込んで、仕事をする。

いまの仕事って、要求されている仕事を全部やっていたら、とても身が持たない状況である。
通常の数倍の業務量があり、しかも、昨日やっていたことと今日指示されることが全然逆だったりする。
くそまじめに、上司や客のいいなりになって仕事を全部やっていたら、身体か精神を壊す。
だから、与えられた仕事をしない(できない)場面も出てくる。
でも、そのためには、理由が必要なのだ。

もちろん、自分を納得させるためだけの理由では、どうしようもない。
それを人に納得してもらわなければいけない場面も出てくる。
「今の段階で、この仕事はすべきじゃない」という理由で、相手を納得させる必要が出てくる。

これって、とってつけたような理由では、なかなか通用しない。
人にやれといわれた仕事をやらないための理由である。
力のある理由でないと、相手を納得させられない。
自分が本当に、最善であると思った理由でないと、説得の言葉に力がないのだ。
「いろんな仕事があるなかで、Aという仕事をするためにその他を切り捨てる必要がある」と言い切る力が必要なのだ。
判断を求められる場面で、自分でベストを見つけ出し、説得し、実行する。
あたりまえだけれど、仕事って、その連続である。


あ、
これって、あの人の言っていた「ベストを尽くす」と一緒だ。


なにもしないことがベストなことだって、もちろんある。
鬱がひどいときなんか、そうだ。
ベストな選択は、さっさと病院に行って、診断書を書いてもらい、仕事を放り出して休むことである。

朝起きたとき、どうしても仕事に行けない精神状態になっちゃったとする(実際、よくある)。
そんなとき、会社に行くべきなのか、休むべきなのか。
ベストを尽くす、とは、這ってでも会社に行くのが良いことなのか、思い切って休んでリフレッシュするのが良いことなのか、選択することだ。
会社に行くのが良いと思うのであれば、それが最善の選択だし、休むのが良いと思うのであれば、それが最善なのだ。
いちばんよくないのは、「本当は行くべきなのに、休んでしまう」ことなんだと思う。
あるいは、「本当は休むべきなのに、会社に行ってしまう」ことである。
経験上、あとで必ず、後悔する。

「ベストを尽くす」って、「頑張る」という意味ではないんだ、ということに気付いたとき、はじめてこの考え方が腑に落ちた。
でも、言葉がすこし陳腐だな。
「今、出来る最善のことを選ぶ」といったほうが、しっくりくる。


いくつかの選択肢があるとき、「何が最善か」を考える。
そして、最善と思えるものを、実行していく。
早いものだと1~2秒で、時間をかける必要があるときは、数日かけて、自分の結論を出していく。
そういうトレーニングを、いま、僕はやっている。

もちろん、選択を間違うこともある。
そんなときは、後悔する。仕方がない。間違えちゃったんだけど、そのときはベストチョイスだと思ったのだから。
これを繰り返すことで、次の選択の精度が上がっていく。

「どんなときにも、必ずベストな選択がある」
1年経って、至言だな、と思えるようになった。




デスマーチって、けっこういいでしょ?
ちなみに、1年前に「ベストを尽くせ」と言ったあの先輩、いまでも、一緒に仕事をしています。
ほんとうはこんなこと考えずに、楽しく仕事をしたいんだけどね。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

コントロールできないものはコントロールしない

鬱病になる少し前のことだから、ええと、2007年の春だったかな。
会社でヒューマンスキル系の研修が開催されたので、受講したことがあった。

『何か壁に当たったときに、モチベーションを落とさない秘訣』みたいな研修だった。
どんな内容だったか、今でもなんとなく覚えている。
というか、つい最近、思い出した。




いろいろ人生をやっていると、ほんとうにいろいろな壁にぶち当たる。
その壁も、1種類じゃない。いろいろな壁がある。

自分で作る壁。他人が作る壁
起こり得る未来への恐れ。起こってしまった過去の失敗の後悔。
思考。嗜好。
行動。感情。信念。

世の中、自分でコントロールできないものだらけだ。
他人はコントロールできない。
過去も無理。タイムマシンはいまのところない。
自分の嗜好もコントロールできない。嫌いなものは嫌いだ。
自分の中から溢れ出た感情も、コントロール不能だ。泣いているのに、笑うことなんてできない。
自分の信念も、まあ、コントロールできないだろうな。

コントロールできないものは、どうやったってコントロールなんかできないんだよ。
だから、そんなものをコントロールしようなんて思っちゃいけない。
コントロールできるのは、コントロールできるものだけ。

自分の行動は、コントロールができる。
自分の思考は、コントロールができる。
自分の信念や感情は、コントロールできない。生理的嫌悪感なんて、自分じゃどうしようもないでしょ。

ぶっちゃけちゃうと、自分でコントロールできるのは、自分の思考と行動だけ。
自分のことだけ、きちんとやっていれば、それでいい。
他人様は他人様。その人の考え方を変えるとか、感情を変えるとか、そんなコントロールできるはずありません。
だから、そこについて悩む必要もありません。

コントロールできるのは自分自身だけなのだから、自分はどうやってその人を相手にすればいいのか、それを考えて行動しよう。





ここ最近、コントロール不能属性を持つものに振り回されることが多いなあ、と思っていた。

ああ、どうしてこんなに暑いんだろう。
この客の話の仕方、気に食わない。
上司は部下のことを全然考えてないぞ。
この部下、使えねえなあ。
ハードディスクが壊れちゃった、どうしよう。
デスマーチ、いつまで続くんだろう。参っちゃうなあ。

以上、すべてコントロール不能属性を持つ類の悩み。
こんなものをコントロールしようなんて、本気で考えてちゃいけないんだ。
ふと、昔受講した研修のことを思い出した。

自分がどれだけ頑張ったところで、暑いものは暑いし、客の話の仕方は変わらないし、上司は部下のことを考えないし、部下は使えないし、ハードディスクは治らないし、デスマは続く。
そんな、コントロール不能領域に心血を注ぐのは、無駄なのだ。

やるべきことは、自分がこれらに相対するときに、どう考え、どう行動するか、それだけである。

逆に、コントロールできないものは、「そういうものである」と認めることで、悩みの対象から、使い出のある対象へと変化する。
人を変えるのではなく、自分の思考を変える。
そうすることで、趣味も性格も信念も感情も異なる他人同士が、共通の目標に向かうことが可能になるんじゃないかな。



変な悩みの袋小路に入ったとき、少し立ち止まって考えてみようと思う。
「コントロールできないものを、コントロールしようとしていないか?」

持ってうまれた自分の性格上、そう簡単に考えが切り替わるわけじゃない。
でも、少しずつ、そういう考えをする訓練をすべきじゃないだろうか。
日々修業のような仕事をしているなかで、少しずつでもそういう考えが出来ていければ、いいな、と思う。


テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

平日多忙、週末も多忙

ブログを書く暇がないほど忙しい、というのは、普通、いいことなんだろうな。
それでも、何とか週に1回は書いていきたい、と思いながら、今回は2週間ぶりの記事投稿。

先週は、送別会で飲んだくれて終電逃し、マンガ喫茶に宿泊。
その後も二日酔いで、ブログ書く気力がありませんでした。

ただでさえ頭がおかしくなりそうなデスマーチ中の仕事。
寝ても覚めても、考えることは今のプロジェクトの問題点と解決策だけ。
しかも、解決策はあっても誰も解決できないし、問題点はどんどん積み上がっていく。
解決できないものをなんとか解決しようとするものだから、どんどんゴールは先に延びていく。
まあ、それがデスマーチというものだと、半ばあきらめる。
修業の場である。ほんとに。

デスマーチについて、詳しくない人向けに、解説。
「ソフトウェア産業において、デスマーチとは、長時間の残業や徹夜・休日出勤の常態化といったプロジェクトメンバーに極端な負荷を強い、しかも通常の勤務状態では成功の可能性がとても低いプロジェクト、そしてこれに参加させられている状況を主に指す。」
(『デスマーチ(Wikipedia)』より引用)

だから、たまに飲んだりすると、みんなでべろんべろんになってしまう、というわけ。
そういう意味では、一致団結している、と言えなくもない。



そんなことをやっていると、鬱持ちでなくとも、頭がおかしくなる。
同僚も言っていた。
「こんな仕事、手を抜いたり文句を言いながらじゃないと、やってられないよ」

最近では、どうせ終わらない仕事なら、土日も出勤して頑張ったって何の意味もないじゃないか、という考えがメンバーに浸透してきて、週末に休みをとりやすくなってきた。
土日出勤なんて、顧客と会社の上層部に対するパフォーマンスでしかないからな。
ごろ寝して過ごしてもいいのだけれど、結局頭の中に浮かんでくるのはプロジェクトの問題点と解決策だけ。
全然別のことをして発散したほうが、よほど精神衛生上、良い。



さあ、週末だ。
ステップワゴンのコピーじゃないけれど、子供と一緒にどこ行こう!?
うちの車はステップワゴンじゃないけれど、どこにだって行ける。
週末くらい、非日常の世界に行ってもいいじゃない。

どこかに行きたいなあ、と妻に相談したら、何時に起きて、あれとこれを準備して、何時に出発して、お昼ご飯はあそこであれを食べて、ここで休憩して・・・・・・という話を始めたので、慌てて止めた。
さすがA型人間の妻。B型の僕には理解できない。
朝起きて、天気を見て、気分で行き先を決めるのがいいな。せっかくの休日なんだから。
妻は諦め、「好きにすれば」と言ってくれた。
やったあ。


さあ、へとへとに疲れるまで遊ぶぞ。
明日に備えて、今日は早く寝よう。

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ストラグラー

Author:ストラグラー
システムエンジニア11年戦士。
世の中の出来事や身のまわりのいろいろなことに、興味の向くままに、てれてれと書き綴ります。
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お気軽にお楽しみくださいませ。

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