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東京都江東区殺人事件の報道について

【神隠し公判】立ちつくす被告 遺族は悲しみ癒えず
配信元:産経新聞 2009/02/18 11:50
 「被告人を無期懲役に処する」。自ら死刑を求めた被告に、裁判所が言い渡した結論は「無期」だった。東京都江東区のマンションで会社員の東城瑠理香さん=当時(23)=が殺害され、バラバラにされた事件の東京地裁判決。主文を聞いた星島貴徳被告(34)は目を伏せたまま立ち尽くした。「性奴隷にしたい」という身勝手な願望、残酷な遺体解体の状況-。死刑を求めた遺族の願いはかなえられなかった。

 午前10時、東京地裁104号法廷。黒のトレーナーに黒のズボン姿の星島被告は緊張のためか、やや顔を紅潮させているものの無表情のまま証言席に着いた。裁判長が無期懲役を言い渡す間も身動きはしなかった。

 これまでの公判で、星島被告は常にうつむき加減でほとんど身動きすることはなかった。この日も、表情に生気はなく、裁判長に促されるままゆっくりと傍聴席に着いた。

 被告人質問の際には「女性を調教しようとした」「恋人になれると思った」などと、消え入りそうな声で身勝手な異性への“思い”を語っていた星島被告。

検察側が遺体解体の手法や感触などを約3時間半かけて細かく質問したときには、動揺した様子で「絶対に死刑だと思います」と叫び出した。騒然とした中で、検察官は「そんなことは聞いていない」とたしなめたほどだ。

 東城さんの遺族は、すべての公判を傍聴。母と姉が証言台に立ち、癒されることのない悲しみや怒りを星島被告にぶつけ続けた。

 東城さんは3人姉妹の二女。将来、美術や服飾関係の仕事に就くことを夢見て、美術関連の会社でアルバイトをするなど、将来に向けて着々と準備を進めていた。

 しかし、その人生も身勝手な犯行により突然閉ざされた。昨年4月18日、同居していた姉が帰宅すると、先に帰っているはずの東城さんの姿は見当たらなかった。近所を探しても見つからず、途方に暮れて自室に帰ると壁に血痕を見つけた。不安が大きくなる中、駆けつけた両親らとともに東城さんの無事を願ったが、2軒隣の部屋で東城さんは命を奪われた。

 法廷では、東城さんの切断された遺体が大型モニターに映し出されるなど、遺族にとってはつらいものとなった。それでも、母と姉は傍聴を続けたことを「後悔していない」と判決を前に断言。母は「娘は本当に無念だったろう。私がその思いを代弁しようと思った」と話す。姉も「苦しんで死んでいったことを分かってあげないとかわいそう」と語っていた。

 だが、そんな遺族の思いも通じることなく言い渡された無期懲役。この日、遺影を持って傍聴した遺族は、がっくりとうなだれて法廷を後にした。

先週出た判決。気になっていて、記事にしようと思っていたのだが、なかなか機会がなかった。

今回気になったのは、判決がどうのこうの、ではなく、その記事の書かれ方。
特に、産経新聞。
読売新聞にもこれに近い論調はあったが、ここまであからさまではなかった。


記名記事でない、ということは、これは産経新聞社としての記事なんですよね。
ぱっと見、感想文にしか見えないのだが、れっきとした、報道なんですよね。

報道機関がこのような記事を書くことに、普段から危機感を持っているのだが、ここまで堂々と書かれると、ぼくの認識が間違っているのではないかと疑ってしまう。


遺族感情を盾にする裁判報道、もうそろそろやめませんか?
もっと、論拠のある、理路整然とした、感情的でない裁判報道をしてくださいよ。


ご遺族の気持ちは、多分、ご遺族当人でないと分からない。
ご遺族の気持ちは、察して余りある。いや、ぼくなんかには、察することすら出来ない。平々凡々と暮らしている一般人が、この手の記事を読んで分かるような、そんな簡単な感情ではない。
犯人を殺したいと思うだろう。同じ目に、いや、それ以上の目に遭わせてやりたいと思うだろう。
いや、そんな言葉にすらできるはずもない、そんな気持ちだろう。

でも、それが判決の理由になっては駄目なのだ。
罪を裁き、罰を与える権利は、国家にしかない。その権利を持つ国家が、ひとつの罪を裁く場合には、それ相応のきちんとした論拠がなければならない。それを、論理の破綻なく説明できなければいけない。感情的ではいけない。公平でなければいけない。
遺族にも、被告にも、どちらに偏ってもいけない。
命の尊さと、犯罪の愚かさを、量刑で広く示し、国民に示さなければならない。
そうして出てきたひとつの結論が、一審の「無期懲役」という判決である。

この記事は、報道機関である産経新聞が発した記事である。そうである以上、その記事にはその産経新聞の考える理念と、報道機関が得た事実を元に記事を構成しているはずである。
この記事、邪推なしに、普通に読めば、「遺族の思いは、判決に反映されるべきだ」というふうに読める。

これは、産経新聞さんの理念に基づいた考えですか?
であるならば、現行刑法の理念を根本から覆すべきである、というのが産経新聞社の理念ですか?
遺族の感情を、国民全員で共有すべきである、という考えですか?
であるならば、被告の親、家族、親類縁者はすべて、蔑まれるべきですか?

犯罪を憎むということを訴えるために、遺族感情を利用するのは正しい。
しかし、判決が甘いということを訴えるために、遺族感情を利用するのは間違いだ。
今後、裁判員制度が開始されるにあたって、判決を一緒になって出す可能性のある一般市民に対し、偏った報道はすべきでないと考える。
均等に、正確に、理性的に、報道すべきである。

以上、これは、ぼくの考え。
産経新聞の考えとは、違う。

違いますか?



25日、一審量刑を不服として、検察が東京高裁に控訴した。
理由:
「判決が死体損壊などを軽視して死刑を回避したのは重大な判断の誤り。殺害と死体損壊は一体の犯行。極めて残虐で死刑が相当」
極めて明快で、極めて冷静な、筋の通った、また国民を向いた、控訴の判断である。
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私も、新聞社がここまであからさまに「被害者(の家族)」よりの記事を書くのはおかしいと思います。
私の父も、事故で死にました。「加害者」がいたのです。
この「事故死」については、「加害者」の本当にずさんな仕事が背景にありました。
もう、18年前の事ですが「加害者」を許すことはありません。

そもそも、事件(事故も含む)などで「被害者(の家族)」が納得することはないと思います。
「事件(事故)」の前の生活に戻れるなら話は別ですが。

そして、裁判の判決とは、日本の国の制度が罪を罪と知らしめるための根拠にのっとっていい渡すものなのなのだと思います。
それは「被害者」を助けるだけでなく「加害者」の過ちを正すべく公正な場であるべきなのだとも想います。
「被害者(の家族)」の思いだけを前面に「新聞」という大きなメディアが乗せる記事にしては稚拙すぎると思います。
むしろ、「なぜ、死刑には値しなかったのか」を記事にしてある方が「新聞」らしいことではないでしょうか?
私にはそう思えてなりません。

ちなみに、私の父を殺した「加害者」が、刑務所に入ったことまでは知っています。
その後の事は知りませんし、知りたいとも思いません。
でも、罪を罪と認めていたので、平安な暮らしをしていてもいいかなとも想います。

長文になり、失礼いたしました。
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