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沖縄戦の記事を読んで

あす「慰霊の日」 5大学1129人、3割「由来知らない」
2009年6月22日 琉球新報
 23日の「慰霊の日」を前に琉球新報社は16日から4日間、県内4年制総合5大学の学生(1129人)を対象に沖縄戦について知識や意識を問うアンケートを実施した。その結果、沖縄戦を学ぶことは99・4%が「大切」と答えた一方、牛島満司令官が自決した日として定められた「慰霊の日」の由来を「知らない」と答えた学生が29・4%に上ったほか、今年は沖縄戦終結から何年かとの質問で「64年」と正しく回答できたのは61・6%にとどまった。
 沖縄戦の体験継承に関心や意欲が強い一方で基礎的知識に課題があることが浮き彫りになった。
 高校歴史教科書の「集団自決」の記述から「日本軍の強制」が削除された問題について、県内出身者と県外出身者の意識に差があることも分かった。
 日本軍による住民虐殺があった事実は86・8%、学徒動員は92・8%の学生が知っていると答えた。学徒隊の名前を一つ挙げることができた学生は76・0%で、ほとんどが「ひめゆり」を挙げた。
 住民の「集団自決」はどのような死かを問うと「日本の軍事体制下で米軍への投降を許さない、追いつめられた死」を選んだ学生は83・6%、「国のために自ら命を捧げた美しい死」は4・4%、「分からない」5・2%、その他6・3%。
 「日本軍の強制」が削除された問題を知っているのは90・4%、削除は「正しくない」との回答は81・8%に上った。「正しい」は2・8%。「分からない」が14・2%いた。
 県内、県外の出身別でみると、県外出身者は「集団自決」を「―美しい死」と回答した割合が8・1%と県内3・8%よりも高く、歴史教科書問題を知らないと回答した割合も県外は27・4%で、県内6・4%よりも高かった。「日本軍の強制」削除は「正しくない」は県外65・9%で、県内84・3%よりも低かった。
 沖縄戦を学ぶことは「とても大切」88・1%、「ある程度大切」11・2%とほとんどが「大切」と回答。沖縄戦について小中高校の授業で学んだことがある学生は91・9%、戦跡や平和資料館に行ったことがある人も95・2%と多かった。
 調査は5大学の教員に協力を依頼し、講義の際、学生に回答してもらった。

◆識者分析 新城俊昭氏「意識高いが知識伴わず」

 「沖縄戦が終わって何年か」との質問に正答が約6割というのは気になる。8割は超えてほしかった。一方で沖縄戦を学ぶことが大切との回答99%はかなり高い数値だ。現代の若者は一般に言われるほど沖縄戦に無関心ではない。むしろ素直な気持ちで沖縄戦から平和の在り方を学ぼうとする姿勢がうかがえる。意識は高いが知識がそれに伴っていないのが実情だ。平和教育の在り方や教える内容に問題がありそうだ。生徒の実態に合った、体系立てた学習を工夫する必要がある。
 毎年6月は特設授業で、演劇や映画鑑賞、戦争体験者の講演などが実施されているが、近年、こうした学習法もマンネリ化し新たな平和教育の在り方が求められ、内容も問われている。
 1995年、2000年に高校生を対象にしたアンケートでは戦跡・平和資料館に行ったことのある生徒はほぼ半数だった。それが05年は94・5%と大幅に増え、今回のアンケートでも95・2%と高い。おそらく、多くの学校が総合的学習の時間に平和学習を取り入れ、学年単位で戦跡・資料館巡りをするようになったのだろう。07年の教科書検定問題による沖縄戦への関心の高まりも一因だ。
 沖縄戦をじかに語れる世代は急速に減少している一方で沖縄戦研究は大きく進歩し、県平和祈念資料館や対馬丸記念館の建設、ひめゆり平和祈念資料館のリニューアル、各市町村の戦争体験記刊行など沖縄戦を継承するための未来への環境作りは着実に進んでいる。これからの平和学習はこれら戦争遺跡や資料館に何を語らせるかが大きな課題だ。
 教科書から「日本軍の強制」が削除されたことは「正しくない」との回答が県内出身者より県外が大きく下回ったのは気になる。単に沖縄戦への認識が足りないというより、15年戦争への歴史認識そのものに違いがあるように思える。だからこそ教科書で沖縄戦の真実をきっちり記述する必要がある。
 (沖縄歴史教育研究会代表)

沖縄の人々の意識は、このとおりなのだろう。
知識のなさを嘆く論調ではあるが、その意識は、沖縄以外に住む人々の意識に比べれば格段に高い、というのが、僕の感想。

沖縄以外の人々の意識が低すぎる、というのが本当のところだろう。
「戦うべき時は戦わねばならない。その覚悟を持たなければ、国の安全なんて守れるはずがない」なんていうことを言う首相がいるくらいだから、その意識レベルの低さは察して余りある。

自由を得たり、権利を得たり、仲間を守るために、自らの命を犠牲にしなければならない場面があることは、否定しない。
今、我々に自由や権利があるのも、歴史上で繰り広げられてきた血の闘争の結果である。その流れた血は、名誉の血であり、讃えられるべきものである。
また、その血に名誉が与えられるのは、現在、結果として自由と権利が手に入っているからだ。
歴史は、よく言われるとおり、結果でしか判断できない。血を流しても、自由と権利が手に入らなかった場合は、ただの逆賊扱いである。
中国の天安門事件を考えてみれば、そんなことはすぐに分かる。


沖縄地上戦で流れた日本人の血。
彼らが頑張って血を流したから、今の日本が、沖縄があるのだろうか?
彼らが命を張って守ろうとしたものは、今の日本、沖縄に残っているだろうか?

残っていない。
それは、日本が戦争に負けたから。

彼らの流した血は、「決して流してはいけなかった血」なのだ。
そして、そのことは、沖縄の人がいちばんよく知っている。
実際に血を流した人が、「この血は流してはいけない血だった」と知っているのだ。
それが、この記事に現れている。


何のために、誰のために流すのか分からない血を、僕は流すつもりはない。
強制的に血を流させる国家のために、血を流すつもりはない。


沖縄の人は知っている。
戦争をすれば、必ず勝者と敗者が出ることを。
敗者の犠牲は、決して報われないことを。
そのことを訴えることが、自分たちの流した血を生かす唯一の方法であることを。


東京・下町の人は知っている。
大空襲の慰霊碑があちこちに建っており、いつでも花が飾られていることを。


明日は、人が血を流すということの意味、無意味を考える日。
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テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

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こんばんは☆

学生のころ歴史の授業が、苦手でした。
「アメリカ大陸発見」
…なにそれ?もともと暮らしてきた方々は?



今はもう、外出は電動車いすの父は、
志願兵として、朝鮮半島に出征しました。
現地の方に、竹やりで突かれた傷跡が、背中にあります。

2005年に亡くなった義父は、
中国で参戦したそうです。
でも、けっして、その時の話をしませんでした。

わたしは、嫌です。
殺し合いなんて。。。
殺される。
殺す。
殺せと命令される。
やるしかない。
大切なものが、わからなくなる。


そんなのは、嫌です。
負けても、勝っても。

殺した時に見たもの、
感触、叫び声、、、
消えません。
殺されて、消えた、先に延びた命。
戻ってきません。

わたしは嫌です。
意味のあるなしは関係ありません。

嫌です。



いつもありがとうございます

いつもご訪問、ありがとうございます。
きょうはきわめてシリアスな問題なので、ちょっとだけコメントさせていただくことにしました。
沖縄の問題にしても、中国残留孤児の問題にしても、そして従軍慰安婦の問題にしても、
多くは、「戦争の傷跡」として語られ、だから「平和の時代に生きるわれわれは」と結ばれる、
というのが一般的なパターンだと思うのですが、戦後の日本は、こうした議論の中で、
いちばん大事なことに触れずにきたような気がします。

いちばん問われなければならないのは、この戦争は、
どういう人たちの利益のために闘われ、
そしてだれがその犠牲となったのか――という問題ではないのか、
と私は思います。

この問題を突き詰めていくと、
私はあることに気づいて、愕然となります。
あの戦争を引き起こした構造は、
いまのこの時代にも、まだしっかり、ほとんど変わらない姿で残っていて、
もしかしたら私たちの日常を支配しているかもしれない――と。

ストラグラーさんが指摘されるとおり、
いまの政治家の発言などを聞いていると、私はますます、
そういう危惧を深めてしまうのです。
だからこそ、私たちは、目を見開いていなければならない、とも思います。

長いコメントになって申し訳ありません。
それから、コメントついでで申し訳ないのですが、
ストラグラーさんのブログを
当方の「お気に入りリンク」~〈ちょっぴり社会派〉に追加しようと思います。
もし、不都合があれば、ご一報ください。

こんばんは

戦争は勝った方の歴史になる、とよく言われますよね。
でも、本当はそれじゃ本当の意味での平和はやってこないのではないでしょうか。

私はいわゆる在日です。
結婚しても籍を移してはいません。

ですが、私は色んな意味で2つの国から離れてフリースタイルで歴史を眺めることができる立場にあると思っています。
日本の過ち、韓国の過ち。
これを直視して初めて未来が来るんだと思っていますし、その為に少しずつではありますが「正しい事実」を求めて生きていきたいという目的を果たそうとしています。

私の祖父が亡くなった時、私は祖父の努力を搾取した人間を愚かでかわいそうな人だと思いました。
少なくとも、私は自分自身そのような事をしない・させない努力をする責任と義務を背負っていると思います。

返信>やまさん

もちろん、僕には戦争体験はありません。
本当の意味での平和とは、何だろうか?
僕にとっては、そこから話を始める必要があるのです。

「平和」な状況は、理解しているつもりです。
でも、「平和になる」とは、どういうことだろう。
もっと能動的に、「平和にする」ためには、何が必要なのだろう。

フランスって、強いですよね。
採算度外視で、強者に食ってかかる。
バックボーンは、過去に多くの血を流して得た、自由・平等・博愛の精神。
おそらく、フランスにしか出来ない「平和にする」方法です。

アメリカは、自国の利益になると思えば、即、軍事力を使います。
国を作り上げてきた全歴史が、200年あまりしかないから、「歴史は作っていくものだ」という感覚がある。
かつてのソヴィエトも、同じかもしれない。
だから、平和を作り上げるためには、強大な軍事力が必要だった。

イスラエル・パレスチナまで話を広げると、ややこしくなるが、おそらく考え方は一緒。自国なりの「平和にする」方法を考え、実践しているに過ぎない。
北朝鮮も然り。「金体制維持=国家存続=平和」と考えれば、あれが「平和にする」方法なのでしょう。

さて、最初に戻ります。
日本国民が採るべき「平和にする」方法って、何でしょうか。
悔しいことですが、僕は答えを持っていません。
ただ、立ち返る原点、ベースは、64年前の戦争に置くべきだと考えます。
無意味に多くの人が亡くなったのですから。そして、その記憶はまだ新しいのですから。
・・・・・・ということを、記事で伝えたかったのかもしれません。

やまさんのコメントのラスト2行、僕はこれを、やまさんなりの「平和にする」覚悟と受け取りました。
在日という立場でしか考えられないことを、考え、実践しようとしているのだと感じました。
ご意見、ありがとうございます。
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