FC2ブログ

どうして僕は生きているのだろう

あ、別に参っているとかそういうことではありませんので。念のため。
人が生きる意味って、何だろう、という疑問。
昔から何となく気になっていて、一応の解は持っているものの、今でもやっぱり時々疑問に思ってしまう。
持っている「一応の解」というものが、きちんと腑に落ちていないんだろうなあ。

少し、このことについて書いてみたいと思う。
整理がつけば万々歳。
もしかしたら話が発散して、収拾がつかなくなるかもしれない。
そうなったら、誰かに助けてもらおう。

人が生きる意味って、何だろう。
僕が今ここで生きているのは、どうしてだろう。

もちろん、誰かとの繋がりのなかで生きているのは、当然のことである。
親がいて、妻がいて、子がいる。
友がいて、仲間がいて、敵がいる。
だから生きている。そこに、疑問の余地は無い。

僕が考えてみたいのは、「僕」という人格の存在理由、である。

まずは、僕の持っている「一応の解」について。



解:
僕自身が生きていることに、絶対的な意味はない。


なんじゃそりゃ。

絶対的ではなく、相対的な意味であれば、あるのだと思う。
相対的、というのは、人と人とのつながり、という意味。
僕が誰かに、あるいは何かに影響を与えている、だから生きている意味がある、という意味。
それは前にも述べたとおり、疑問を差し挟む余地は無い。

でも、僕という人間は、どうやって、何のために、この世に生を受けたのか。
生物学的には、理由も目的も存在する。
でも、それは、「僕」という人格が生まれ、存在している理由にはならない。

「僕」という人格が存在するべき理由。
何故、「僕」は誕生し、ここに生きているのか。
宗教的に言うならば、僕の魂は、なぜ存在するのか。

宗教的な理由は、あるだろうか。
前世や来世を保証するための宗教を信じることで、現世に生きる「僕」という人格が存在することに、確かに意味は生じてくる。
でも、それではやはり相対的な意味になってしまうのだ。
今の人格を肯定するための、前世と来世を含めた広義の人格、つまり「メタ人格」みたいなものを規定して、そこから今の「僕」に意味を見出す、というやり方。
「メタ人格」に対する「今の自分」は、やはり相対的なものだ。
では、そのメタ人格はどうやって、何のために存在するの?
同じ質問の繰り返しになってしまう。

永遠のメタ人格、ありていに言えば「永遠の魂」を考えてみる。
永遠の魂は、いつ始まったの? そして、いつ終わるの?
700万年前、地球上に人類が誕生する前は、僕はどこで何をしていたの?
別の種類の動物だった?
では、40億年前、地球に生命が誕生する前は、僕はどこで何をしていたの?
宇宙人だった?
では、137億年前、ビッグバンで宇宙が始まる前は、僕はどこで何をしていたの?
・・・・・・。
そもそも、宇宙が始まる前に、「時間」なんてなかったんじゃないの?

始まりも終わりもないものを、僕はうまく考えることが出来ない。

そんなわけで、僕は、僕自身がいま生きているということについて、意味は無い、と考える。
考えたところで、無駄だ、という結論を出すことにしている。



ああ、なんか、救いの無い結論だね、こりゃ。
考えても意味が無いから、生きる意味も無いのだ、という結論の出し方をしているから、腑に落ちないんだよ。
でも、それ以外の答えを知らない。



じゃあ、何があるのさ。
生き方、しかないんじゃないかな。
生きる理由はないけれど、生きる方法なら、たくさんある。

宗教なんかも、実はそこを規定しているんじゃないだろうか。
あの世で地獄にいかないように、正しく生きよう、とか。
今、辛いのは、前世での行いのせいなので、がんばって生きよう、とか。

人との繋がりのなかで生きるという、相対的な存在理由も、ほんとうは「生き方」の問題なんだろう。
「○○のために生きる」って、よくよく考えてみれば、自分の存在理由ではなく、生き方のことを言っているのだから。



というわけで、考えがまとまることもなく、おもいきり発散してしまった。
寝ることにします。
関連記事


テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

コメントの投稿

非公開コメント

こんばんは~

こんばんは~
私は人は他人の幸せのために生きることが 最高の幸せじゃないかと思いますね~。
人はそのために生まれてきた、というのが私の考えです。

「生きている」という言葉の定義によって結論が変わるのではないかと・・・?

返信

>みきさん
おひさしぶりです。お元気ですか?
みきさんの考え、正しいと思います。僕も、誰かのために生きているつもりです。
でも、それだけじゃ何か腑に落ちないんですよね。性格なんでしょう、きっと。
今回の文章は、「ああ、妙な思考訓練をしているなあ」程度に見ていただけると幸いです。

>しろねこさん
コメントありがとうございます。
もちろん、定義が変われば、結論も変わります。
社会学的、生物学的、宗教学的、哲学的な意味合いから、それぞれの「生きるとは」を考えてみたつもりです。
そのなかで、いちばん腑に落ちないのが、哲学的な「僕という人格の意味」なんです。
何か、別の視点があると、もっとうまく考えられるのかな、とも思いますが、難しいですね。

休職している頃、カウンセラーさんに「休職しているときに哲学はアカンで」と言われたことを思い出しました。
それでも仕事の合間に、ふと思いついた思考の切れ端を、メモにして残していたりしますが(笑)

生きている意味ってなんだろうか?の問いは僕も何度も考えてしまいますが、自分の中ではとりあえず棚上げです。
認知療法でいう「思考停止という適応思考」状態です。

その問いに答えが出るのは、死の直前か。
もしくは、それに本当に気づいたら(正気を保って)生きていられなくなるか。
そのどちらかじゃないだろうか?と思っています。
(ここで言う「正気」も、世間一般で言う「正気」であって、何を基準の正気か?となるとまた話が異なるような)

自分も含めて鬱になる人というのは、そういうニヒリズムと真正面に向き合っているから、なってしまうのかなぁということを感じます。

なかなか上手く文章にするのは難しいです。

返信>佐倉純さん

確かに、考えないことも、正解かも知れませんね。

僕は、酒を飲んで、酔っ払うと、楽しくなります。
「うわーっ、人生、楽しいーっ」となるわけです。
あの感覚を、通常時にも、じんわりと味わいたいのかもしれない。
求めているのは、その程度のことなんです。
(この状態は、おそらく「正気」ではない状態です)

でも、論理的に一手ずつ詰めながら考える、という「悪い」癖が、それを邪魔します。
ああ、もう、どうでもいいや、と思うことが必要なのかもしれません。
仰るとおり、それは死ぬ前かも知れませんね。
ランキング参加中
また、ランキングサイトに参戦することとなりました。
グリグリグリっとクリックお願いします。
にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
プロフィール

ストラグラー

Author:ストラグラー
システムエンジニア11年戦士。
世の中の出来事や身のまわりのいろいろなことに、興味の向くままに、てれてれと書き綴ります。
闘って撃沈したり、折り合いをつけたり、妥協したり、たまにはガッツポーズしたり。
お気軽にお楽しみくださいませ。

リンクフリー。お気に召しましたら、ご自由にどうぞ。

カウンター
目次

全ての記事を表示する

カレンダー
07 | 2020/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
躁 (8)
本 (6)
月別アーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
フリーエリア
edita.jp【エディタ】