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重大犯罪と刑事責任(3)

(『重大犯罪と刑事責任(2)』から続く)

1.現在の日本の法制度について
・死刑制度とその意義について



まずは、一般的に、刑罰にはどのような意義があるのかついて、調べてみた。

一般的に、刑罰の意義には、以下のようなものがあると考えられているそうだ。

・犯罪者を教育し・更生させ、再犯を抑止する
  (教育効果をねらったもの。目的刑の特別予防)
・見せしめ効果の期待
  (威嚇効果をねらったもの。目的刑の一般予防)
・敵討ちの代行
  (遺族感情に配慮したもの。応報刑)
・犯した犯罪に対するペナルティ
  (「目には目を」的発想に近い・応報刑)

日本や、その他先進国の場合、刑法は、相対的応報刑論であるらしい。
犯罪者に対する教育的措置(目的刑)と、犯罪の重さに比例した刑罰(応報刑論)の折衷、なのだそうだ。
まあ、そんなんでしょうね。納得。


死刑の場合、特別予防論の考え方が少し変わる。
・犯罪者を教育し・更生させ、再犯を抑止する
という部分が、
・犯罪者を社会から隔離し・再犯を抑止する
ということになる。

本人の教育、更生のための死刑は有り得ないのだから、考えてみれば当然のことである。納得。
「教育効果」の部分は、「無力化効果」と言い換えるそうだ。


では、それぞれの刑罰の役割が、死刑の場合はどのようになるのか、以下、考えてみたい。
つまり、無力化効果、威嚇効果、敵討ち、ペナルティについて、死刑ではどのように考えるのか、現行法解釈ではどうなるのかを考えてみるのだ。


敵討ちの代行という側面では、次のような資料がある。

1873年(明治6年)2月7日。
司法卿・江藤新平が出した、太政官第37号布告(通称敵討禁止令)
人ヲ殺スハ、国家ノ大禁(たいきん)ニシテ、人ヲ殺ス者ヲ罰スルハ、政府ノ公権ニ候処、古来ヨリ父兄ノ為ニ、讐(あだ)ヲ復スルヲ以テ、子弟ノ義務トナスノ古習アリ。右ハ至情不(レ)得(レ)止ニ出ルト雖(いえ)モ、畢竟(ひっきょう)私憤ヲ以テ、大禁ヲ破リ、私儀ヲ以テ、公権ヲ犯ス者ニシテ、固(もとより)擅殺(せんさつ)ノ罪ヲ免レズ。加之(しかのみならず)、甚シキニ至リテハ、其事ノ故誤ヲ問ハズ、其ノ理ノ当否ヲ顧ミズ、復讐ノ名義ヲ挟(はさ)ミ、濫リニ相殺害スルノ弊往往有(レ)之、甚ダ以テ相不(レ)済事ニ候。依(レ)之復讐厳禁仰出サレ侯。今後不幸至親ヲ害セラルル者有(レ)之ニ於テハ、事実ヲ詳(つまびらか)ニシ、速ニ其筋へ訴へ出ヅ可ク侯。若シ其儀無ク、旧習ニ泥(なず)ミ擅殺スルニ於テハ相当ノ罪科ニ処ス可ク候条、心得違ヒ之レ無キ様致スベキ事。

現代文に意訳してみた:
人を殺すということは、国家が禁止する最も重い罪で、それを罰するのは国家の権利である。
昔から、父兄の復讐は子弟の義務だという習わしがあった。
これは感情的に止むを得ないところもあるのだろうが、結局は個人的感情で国の決まりを破り、国の権利を侵すことでしかないのだから、殺人罪を免れることはできない。
それだけではく、ひどい場合は、物事の正誤、合理性に欠ける理由による復讐で、殺し合いなんかしてしまう弊害もある。だから復讐厳禁なのだ。
今後、不幸にも親を殺されちゃった場合は、事実をつまびらかにし、速やかにその筋に訴え出ること。
もしそれをせず、古い慣習に従って仇討ちしちゃった場合は、相当の罪に処すので、心得違いないよう願いたい。

「敵討ちはしちゃいかんぞ。それは殺人罪だからな。それができるのは国だけだからな。もし親をころされたら、警察に訴え出ること。間違えるなよ」
ということである。

国が敵討ちを代行するので、警察に訴えなさい、と読めなくもない。
ただ、これを死刑の理由にするにはいささか無理がありそうだ。
なにせ、100年以上昔の話だ。時代が違う。


それよりも、今に繋がる現行法解釈としては、日本国憲法における死刑制度のあり方について、検討するのが良かろう。

ここに、死刑制度の根拠となっている判例がある。
1948年(昭和23年)3月12日。
最高裁大法廷は、死刑制度は合憲であるとの判決を出した。

判決文(要約・意訳含む):
生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。
日本国憲法第13条においては、生命に対する国民の権利は最大限尊重される必要がある。
でも、公共の福祉に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限・剥奪されることも有り得る。
また、日本国憲法第31条において、国民個人の生命であっても法律の定める適理によって、これを奪う刑罰を科せられることが定められている。
だから、日本国憲法は刑罰としての死刑制度存置を想定したものであり、是認しているから合憲。

ただ、死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有すると認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来もし死刑について火あぶり・はりつけ・さらし首・釜茹で(!)ごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されるとするならば、その法律こそは、まさに日本国憲法第36条に違反するものというべきである。

補充意見その1:
ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によつて定まる問題である。
国民感情は、時代とともに変遷するものだから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである。
従って、国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。かかる場合には、憲法第31条の解釈もおのずから制限されて、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。しかし、今日はまだこのような時期に達したものとはいうことができない。

補充意見その2:
何と云つても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい。
この感情に於て私も決して人後に落ちるとは思はない、しかし憲法は絶対に死刑を許さぬ趣旨ではないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから。
若し死刑を必要としない、若しくは国民全体の感情が死刑を忍び得ないと云う様な時が来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上裁判官が死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはないのが実状だから。

なにを言っているかというと、
死刑について、公共の福祉に反する場合、国民の生命であっても、立法上奪うことが可能だ。
ただし、人道的に正しい方法で行う必要がある。残虐な方法は駄目だ。
この、人道的かどうか、という部分は、時代と共に変化する。
後世、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代になり、死刑自体が、残虐な方法だということになれば、死刑の排除も考えられる。
時代の流れとしては、そのうち死刑はなくなるだろう。

ということだ。
ここでいう「公共の福祉」とは、「AさんとBさんとCさんと・・・さんの権利が衝突したときに、その権利を調整する」という考え方のことを言う。社会全体の利益のことを指すのではない。
これに従うと、「公共の福祉に反する」とは、「他者の権利・自由を度を越して侵害してまで押しとおす」ということになる。

※(自民党の憲法改正草案では、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」にしようとしている。
  意味がぜんぜん違っていることに注意! 気をつけよ!)

つまり、
死刑は、その人を生かしておいた場合、他者の権利・自由を度を越して侵害してまで押しとおす恐れがある場合、可能である。
それにより、見せしめ効果への期待が考えられる。
また、犯した犯罪に対するペナルティ的な発想は、ここには無い。(つまり、「○○をしたから死刑」という考え方は、死刑制度に相容れない)
もちろん、明治時代に公布された「敵討ちの代替」という機能は、完全に失われていることは明らかである。


元に戻ると、
・犯罪者を社会から隔離し・再犯を抑止する
・見せしめ効果の期待
が、死刑の理由となる。

・敵討ちの代行
・犯した犯罪に対するペナルティ
は、死刑の理由とはならない。



以上、まとめてみよう。
・死刑は、その人を生かしておいた場合、公共の福祉を著しく犯す恐れがある場合、可能である。
・つまり、人を殺さなくても死刑という場合は、憲法上起こり得る。
・逆に「人を殺したから死刑」という発想は、存在しない。
・死刑に、見せしめ効果を期待することは問題ない。
・遺族感情に配慮した死刑という発想は、存在しない。
・公共の福祉とは、公序・良俗のことを言うではない。公益でもない。公の秩序でもない。ただの、個々の権利の調整、という概念である。



死刑制度とその意義については、このへんで良いだろうか。
他にも色々な資料や、主張が存在したが、根拠の無いものについてはすべて却下した。
この文章が、ほんとうに公平かどうかについては、自信が無い。
すごく、いろんな意見を書きたくなる衝動を抑えながら、ここまで書いてきたからだ。

でも、ここまで読んでいただいた方々には、意外と「へぇ~」的な要素が多かったのではないだろうか。
ぼく自信、調べながら「へぇ~」と思うことが多かった。


なんだか中途半端な、書き足りない気もするが。
まあいい、自分自身が納得するために書いているのだから。



誤り訂正コメントは大歓迎。
本件、続きがあるため、ご意見コメントはご遠慮願いたいところだが、それは「公開ブログ」の趣旨に反するので、制限しないこととする。
ただ、コメントに対する返信はできないかもしれないので、ご了承願いたい。
(あとでまとめて、ということになろうかと考える)

そもそも、コメントがあれば、ということが前提だが。


では、次回に続く。
結構疲れるので、次回が明日かどうかは甚だ疑問。

続き:『重大犯罪と刑事責任(4)
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